ケンメリGT-Rについて解説! わずか195台しか販売されなかった理由とは (2/2ページ)

なぜ生産台数197台で終わったのか

 ケンメリGT-Rが登場した1973年は世界一厳しい基準とされた「昭和53年度排出ガス規制」を目前に控え、規制対応に国内自動車メーカーが躍起となっていた時代。60年代後半にかけて盛り上がった国産スポーツカーが排出ガス規制に対応できないとして、モデルが次々と消滅していきました。

 そんなスポーツカー暗黒時代に登場したケンメリGT-Rは、スポーツカー好きを中心に大きな話題を集めます。

 先程お伝えしたように、パワーユニットは先代モデルとなるハコスカGT-R同様、S20型を搭載し標準ボディに対しオーバーフェンダーを身につけたケンメリGT-Rは“らしさ”満載! 当時としては最強のグランツーリスモに仕立てられたのです。

 ただ、昭和53年排出ガス規制の前に施行された「昭和48年排出ガス規制」にもパワーユニットとなるS20型エンジンが適合しないことで、発表からわずか4カ月後に生産中止。結果、ケンメリGT-R は197台を生産し、195台を販売するに終わった希少モデルとなりました。

 排出ガス規制が施行されることがわかっているのにケンメリGT-Rが登場したため、一説には「S20型エンジンの在庫を処理するため登場させたのではないか」などともいわれましたが、いずれにしろ歴代スカイラインにおいてもっとも希少なモデルとなっています。

ハコスカGT-Rとは

 いまだに続く、スカイラインの名声を高めたのは間違いなく3代目スカイラインに設定された(通称ハコスカ)2000GT-Rでしょう。

 1969年に登場した2000GT-Rはモータースポーツへの参戦を目的にレーシングマシンのR380に搭載されていたS20型エンジンを搭載し、トレッドを拡大。幅広タイヤを装着できるようリヤホイールアーチを広げるなどレースでの参戦を目的としたスポーツモデルです。

 当初、4ドアをベースとしていましたが、3代目スカイラインに2ドアハードトップが追加されたことで1970年に同車をベース車に変更。

 リヤにオーバーフェンダーを装着するなど見た目の迫力も増したハコスカGT-Rは、レースで通算50勝を達成したことでスカイラインの名声を高めるモデルとなりました。

ケンメリ(4代目スカイライン)を振り返る

 ケンメリGT-Rのベースモデルとなったのは、1972年にデビューした4代目スカイライン。通称「ケンとメリーのスカイライン(ケンメリ)」は、シリーズ史上とくにユーザーからの人気を得たモデルとなっています。

 累計販売台数はシリーズ最大の66万台。スポーツカーとしてはかなりの販売台数だと一見、思ってしまいますがスカイラインはGTカー、そして量販セダン、さらに商用モデルまでラインアップするなど量販モデルだったことがその理由です。

 数多くのボディタイプを用意したことが特徴で4ドアセダン、2ドアハードトップ、さらにワゴンと商用バンをラインアップ。

 またセダンとハードトップは直4(1.6リッター&1.8リッター)と2リッター直6エンジン搭載車それぞれの全長が異なることも特徴です。

 さらにリヤサスペンションが直4エンジン搭載車と直6エンジン搭載車で異なるところもポイント。

 直4車はリーフスプリング式のリジットアクスル、直6車はセミトレーリング式(独立懸架)を搭載し、ファミリーカーとスポーツセダンそれぞれの資質に合わせています。

まとめ

 自動車ファンから「幻のGT-R」と呼ばれ、いまだに神格化されているケンメリGT-R。排ガス規制やオイルショックなどの影響を受け生産中止となった悲運のモデルです。

 ただ、ハコスカGT-Rと比較するとボディが大型化されたことで、たとえ排ガス規制などがなくレースに参戦したとしても活躍できたかはわかりません。

 ただ、高い走行性能を有しハコスカよりも快適性が向上した本格的なロードゴーイングカーとして名声を得たことは間違いないでしょう。

 ケンメリGT-Rが生産中止にならなかった場合、どのように進化していったのでしょうか。


手束 毅 TEZUKA TSUYOSHI

フリー編集者/ディレクター

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