ヴェイロンよりもゾンダよりも速かった「アポロ」ってナニモノ? 世界にたった10台&4億円超えのスーパーカーで復活したブランドの正体 (1/2ページ)

この記事をまとめると

■2005年にアウディ・スポーツのディレクターによってスーパーカー「グンペルト・アポロ」が生み出された

■11年後の2016年には「アポロ」は車名ではなくブランド名として復活

■現在の「アポロ」は創始者の手を離れ4億4000万円のハイパーカー「インテンサ・エモチオーネ」を製作

「アポロ」と名付けられたスーパーカー

 かつてはグンベルト・シュポルトワーゲンマニファクチャー社と呼ばれていた、アポロ・オートモービルの名前を聞いたことがあるスーパーカーのファンも、きっと少なくはないだろう。

 グンベルトを2004年に創立したローランド・グンベルトは、そもそもアウディ・スポーツのディレクターを務めていた人物で、彼のリーダーシップのもと、アウディは世界ラリー選手権(WRC)で25勝を記録し、4度の世界ラリー選手権タイトルを獲得した。

 その彼が、いつか自分自身の手でスーパースポーツを生み出そうと決意したのは当然の発想だったのかもしれない。アウディを去った彼は中国に渡り、そこでもさまざまな技術を提供するが、2004年にはドイツに帰国。そこで再開したのが、アウディ・スポーツの元同僚であったローランド・マイヤーだった。

 このときマイヤーは、グンベルトと同様にアウディを離れ、自らの名を掲げた自動車メーカー、正確にはスポーツカーを製作するMotoren Technik Mayer社を創業していた。このプロジェクトにはアウディも関係していたが、グンベルトが条件としてマイヤーに提案したのは、それをプロトタイプのまま終わらせるのではなく、将来的に生産車として市場に送り出すということだった。

 マイヤーもそれに異論を唱えることはなく、このふたりによって新たにGMG Sportwagenmanufaktur Altenburg社が設立され、2002年には4分の1サイズのスケールモデルが完成。さらにミュンヘン大学やインゴルシュタット大学の協力を得て、風洞実験やコンピュータによる支援も行われた。そして2005年秋、その名も「アポロ」とネーミングされた彼らの第一作は完成したのである。

 アポロの運動性能は、誰をも驚かせるほどにハイレベルにあるものだった。なにしろイギリスの人気自動車番組、「Top Gear」のテストでは、テストコースのラップタイムでブガッティ・ヴェイロンやパガーニ・ゾンダよりも早いタイムを叩き出したのだから。それはまさに衝撃的なリザルトであったといえるだろう。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
好きな有名人
蛯原友里

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