むしろファンには天国だった!? かつて聞かれた「マツダ地獄」とは一体何だったのか? (1/2ページ)

この記事をまとめると

■かつて「マツダ地獄」と呼ばれた事象があった

■昔は1度マツダ車を買うと次もマツダ車にしないと査定で損をする傾向が強かった

■2012年の初代CX-5登場以降は大幅値引きをしなくても新車が売れるようになった

「マツダ地獄」とはなんだったのか

かつて「マツダ地獄」という言葉があった。個人的にはカーライフに「地獄」はあり得ず、ロータリーエンジンの好きな人には、マツダ車は最良の選択だ。したがって、原稿執筆などで「マツダ地獄」という言葉を使ったことはないが、世間的には聞かれた。

この「マツダ地獄」の意味は「蟻地獄」に似ていて、一度マツダ車を買うと、そこから抜け出せなくなることを示していた。具体的には、以前のマツダ車の大幅値引きと売却額の低さだ。マツダ車は値引きが多額で、2000年代の前半には、価格が110万円台の2代目デミオでも25万円前後の値引き販売をしていた。値引き額を引いた実質価格は、80万〜90万円に収まる。

価格が230万円くらいの初代アテンザになると、値引き額は40万円を超えることもあった。価格が190万円前後の初代プレマシーでも35万円くらいの値引きだから、実質価格は155万円前後まで下がっていた。

ここまで多額の値引きで販売すると、当然ながら数年後に売却するときの価値は下がる。とくにユーザーにとって辛いのは、マツダからほかのメーカーの車種に乗り替えるときだ。他社で下取りに出すときは、売却額が大幅に安くなってしまった。

そのため、損失を抑えるにはマツダの販売店に下取りに出して、改めてマツダの新車を買うしかない。つまり、マツダ車から逃げられないため、蟻地獄に似た「マツダ地獄」の言葉が生まれたわけだ。

ただし、マツダ車が好きなユーザーには大幅値引きで購入できて、トータルでの出費を安く抑えられた。とくに1996年に発売された初代デミオと2002年の2代目は、視界の良いコンパクトなボディによって運転しやすく、全高は1550mm以下だから立体駐車場も使いやすい。

そのわりに車内も広く、実用性に優れたコンパクトカーであった。このような合理的なデミオを大幅値引きで買えたのだから、実用的な買い得車を乗り継ぎたいユーザーには魅力的であった。決して「地獄」ではなかったはずだ。


渡辺陽一郎 WATANABE YOICHIRO

カーライフ・ジャーナリスト/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ(2010年式)
趣味
13歳まで住んでいた関内駅近くの4階建てアパートでロケが行われた映画を集めること(夜霧よ今夜も有難う、霧笛が俺を呼んでいるなど)
好きな有名人
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