人気の秘密は市販車に近いシルエットのマシンたち
「やっぱり、シルエットが市販車両に近かったことがグループAの人気につながっていたと思います。そういった親近感にプラスして、エンジンはバリバリにチューニングしていたことでパワーもあったし、タイヤ幅も狭かったので、アクションが大きくなりますよね。だから、そういった豪快な走りが見ている側も楽しめたんだと思います」。
そう語るのはJTCのラストイヤーとなった1993年にスカイラインGT-Rでチャンピオンに輝いた影山正彦氏だ。
さらに影山氏は「いまのスーパーGTは市販モデルと違って見た目が派手ですよね。それにクルマも速いから、そこを楽しんでもらえているんだと思います。ファンのレースの見方も変わってきたんでしょうね」と付け加える。
「グループAといえば、JTCの最後の年(1993年)の最終戦、富士のインターテックの光景が忘れられない。100Rを立ち上がってヘアピンに入ったら、アウト側の一面がすべてファンで埋まっていました。それに最終コーナーを立ち上がってストレートに帰ってきたらメインスタンドもお客さんで満員の状態。当然、ドライバーとしてはテンションが上がりましたね。あんな光景はあとにも先にもなかった」。
この影山氏の言葉からも、いかにJTCおよびグループAが人気を集めていたかが、窺い知れるだろう。
ちなみにグループA規定はラリー競技の最高峰シリーズ、世界ラリー選手権(WRC)でも1982年から1997年にかけて採用されており、こちらにおいても多彩な車種ラインアップおよび市販車に近いシルエットで人気を博していた。
2000年から2001年のWRCおよびAPRCに三菱ランサーのグループA仕様車で参戦していた田口勝彦選手は「グループAは市販車に形が近かったですからね。WRCで走っているクルマと日本で販売されている市販車がつながっていたので、そこが人気の理由だったと思います」と語る。
とはいえ、グループA車両は特殊なマシンで、「グループNと違って、グループAはパワーもあったし、トルクもありました。それに車両重量も軽かったですね。全体的に曲がりやすいクルマでしたが、その反応がすごくてドライビングが難しかった。当時、ランサーのグループAは“トミ・マキネン・スペシャル”と呼ばれていて、アクセルを全開にしつつ、一瞬で曲げないとダメなマシンだったので、よくスピンしていました」と付け加える。
このようにグループAはラリー競技においても特別な存在で、まさにモータースポーツシーンで大きな成功を収めたカテゴリーだったのである。