ウルトラマンもウルトラセブンも劇中では輸入車を使用! いまも昔も知名度アップには劇中車化するのが万国共通だった (1/2ページ)

この記事をまとめると

■1965年の輸入車販売完全自由化に備え日本車は上級モデルを用意した

■輸入車販売完全自由化以降のテレビでは「劇中車」として輸入車が登場することが多かった

■劇中車に輸入車が使われたのは庶民に身近な存在として感じてもらうためだった

輸入車販売完全自由化に対して日本車は上級モデルを用意

 世界的にも日本車の評価が高く、そして乗用車だけでも日系ブランドが9ブランドも存在するのが日本国内の自動車市場。その日本国内における外資ブランド、いわゆる輸入車は、海外生産され完成車輸入される日本車も含め、国内での販売シェアは約6%となっており、世界的にも輸入車の販売比率は少ない。

 日本国内における本格的な輸入車販売が始まったのは、1965年10月からの輸入車販売の完全自由化が「元年」といってもいいだろう。

 輸入車販売完全自由化までの日本国内では、トヨペット・クラウン、日産セドリック、プリンス・グロリアといったモデルが一般的には高級セダンとして有名であった。別途タクシー専用車があり、タクシーとして街なかで多く走ることもあったが、企業の役員車やハイヤーなどの需要もあり、とにかく「偉い人が乗るクルマ」という印象が広く伝わっていた。

 その後の「いつかはクラウン」というキャッチがそのような世相を反映しているといっていいだろう。

 しかし、輸入車販売が完全自由化となれば、当時はアメリカンブランド車が斬新で先進的というイメージも高かったが、アメリカンブランドを中心として、西ドイツ(当時)といった欧州系ブランド車にも、クラウンなどのユーザーが流れる懸念というものがあった。

 そこで、各車では排気量が2リッターを超えるエンジンを搭載し「3ナンバー化(それまでは5ナンバーサイズだった)」した上級モデルを用意して輸入車販売完全自由化に備えた。ワイドボディにV8エンジンを搭載した「クラウン・エイト」、ボディサイズをそのままに2.5リッター直6エンジンを搭載した「グランド・グロリア」、そしてホイールベースを延長し、2.8リッター直6エンジンを搭載した「セドリック・スペシャル6」がそれである。

 さらに、1965年には初代日産プレジデント、1967年には初代トヨタ・センチュリーがデビューしている。

 三菱自動車も1964年に初代デボネアをデビューさせている。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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