ド派手なデコトラ乗りはなんと串焼きのキッチンカー経営者! バスに1BOXカーにトラックと飾りまくったデコ人生 (2/2ページ)

デコトラが繋いだ縁でキッチンカーを開業

 バニングに乗りたくてE24ホーミーロングを入手したものの、周囲からは「なぜロールーフなの?」と白い目で見られていたそうだ。バニングの仲間達は1mだ、2mだとエアロパーツを延長しまくっていたときに、後藤さんは2cmとか5cmとかにこだわりながら延長に精を出していた。最終仕上げと内装(天井にマーカー150個リレーさせて並べていた)はショップに依頼したが、ほぼすべてをハンドメイドで製作。「なごやのなっちゃん号」の完成だった。

 その後、舟型バンパーを手に入れてデコバンの世界へ。この頃に三重の有名なデコトラ「夢千代丸」を所有するうどん処の浅田屋さんののれんをくぐり、オーナーの佐野息吹さんと静馬さんと出逢う。デコバンは飾りすぎて車検に通らなくなったり、オイル漏れが激しくなったのでナンバーを返納(現在は物置になっている)した。

 そこで次へ。トラックかバスで悩んでいたけど娘が「バスがいい!」とのひと言でバス車両を購入。やりたいこと、付けたい物、Wマフラー化など好き勝手にやっていたそう。このころはまだバス所有者が少ない時代だったが、内装も自作しながらカスタム。室内にはナイアガラと呼ばれるシャンデリアを前から後ろまでずらっと並べるなど、なんとも豪華絢爛だ。

 その後、バス界のハイデッカー車の存在を知り、ハイデッカーへ車両変更。また、前述の2台目のバスも東日本大震災を期に「どこでも生活できるように」内装も仕上げた。この頃には同時所有していた軽トラもギンギラ浪花会電飾仕様へ進化。マーカーランプは250個越えていたが、ダイナモ2個付けにして電球でもずっと付けていられるように改造を施した。残念ながら追突事故により売却することに。売却先のオーナーがいまでも大切に乗ってくれていることに感謝しているという。

 しばらくバス1本だったが、たまたま見つけた昭和50年式マツダ・タイタンの極上レッカー車(実走行3万キロ台、5F、クーラー付き、腐りなし)を入手。これが彼の現在の趣味車(デコトラ)だ。昭和56年から眠っていた車検証も再登録して復活。少し楽しんでから売却するつもりだったが、買い手が見つからずズルズルと飾り続けていまに至る。そのおかげか、雑誌『トラック魂』にも見開きで掲載されたのは嬉しい思い出。ちなみにこのタイタンは現在も売却先を募集中とのこと。

 現在は亡き師匠の佐野息吹さんが製作途中で残していった仕事車であるキッチンカーを、兄弟の静馬さんのご厚意により引き継いだ。息吹さんが生前、『あーしたい、こーしたい』って話していたのを友人の帽子屋さんと懐かしく話しながら飾っている。この姿で構造変更取得車両なので、大手を振って走って移動販売の営業が可能だ。

 現在は脱サラして、佐野息吹さんがやりたがっていた『串カツ屋』を静馬さんに助けて貰いながら始めた。まさか自分がやるとは思ってもいなかったので「こんなことなら、もっと早くやればよかったなあ」と、少し後悔しているそうだ。キッチンカーの飾りの方は息吹さんが生前、話していた理想を形にしていく予定。ビジネスが軌道に乗ったら、今度は自分自身がやりたいようにデコレーションしたトラックでキッチンカーをつくりたい、そしてその車両で移動販売をしながら、全国を巡るのが夢だそうだ。

串焼きや 可成利屋

出店情報はインスタグラムからアクセス可能


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