「走れないくらいがカッコいい」ってセリフが泣かせる! 少年がすべて独学で完成させた「デコチャリ」の追憶を大人になったオーナーが激白 (2/2ページ)

飾りすぎて走れない!?

 マーカーランプを光らせるべくチャリンコにバッテリーを載せていた。フル点灯できる時間はわずか15分ほどなので、予備のバッテリーも用意。オーディオ風のスピーカーはテレビを分解して製作したもの。既製品はニックのナンバー枠、マーカーランプのみで、それら以外はすべてハンドメイドなのだ。自宅に玄関からスロープで入れていたため、前後バンパーは可動式を採用するなど、自転車の改造とは信じられない様相だった。

 せっかく作ったわけで、その後に見せたくなるのも自然なこと。近所のなんのかかわりもない板金屋に突然出向き「デコトライベントに行きたいから積載車で運んでくれないか」と直談判。見事に参加してしまう。現地では、どこのアートグループにも知り合いはもちろん、友人、知人も居ない会場で、ただ自分のマシンでステージ横に陣取ったそう。

 すると、ステージ横で目立っていたので初となる雑誌取材も受けた。かつてあったトラックキングというデコトラ専門誌に掲載されることになったという。いまでもその際のデコチャリ記事を覚えてくれていた人との交流もあるそうだ。

 本格的にデコチャリを飾り、イベント展示したのは後にも先にもこの1回きりだという。「なんの仕様変更もせずに(作品の進化なしなのに)イベントには行かない」ことが自身のモットーゆえ、貴重な雑誌取材経験となった、とのこと。

 朝、晩、ときには徹夜でデコチャリを製作することもあった。参考にするトラックは山ほどあったが、これまでにない飾りを一心に飾り続けた。気づけば、飾りで重くなり過ぎて自転車を漕ぐことができないのはもちろん、付属のスタンドで自立することすら不可能な状態に。3輪に補助を入れたり、わざとタイヤをパンク状態にしたりと飾りが派手になると同時に自転車の機能を失ったそうだ。

 とはいえそれも自身の美学で「魅せるデコトラの世界、自走不能なくらいがカッコいい」と思っていたという。まわりに共通の趣味の友人、知り合いも居なかったのに、いま思えば「よくひとりでやっていたなぁ」と振り返る。改造費用はもちろんアルバイト。回転寿司が流行り始めたころで、当時まだ店員が握っていたので寿司を握りながら貯めた。バイトで稼ぎ、すべてをデコチャリに注いで完成したのだった。

 デコチャリのニックネーム“魑嘩姫丸”の由来にもなっている、当時一緒にデコチャリを見守ってくれていた彼女が現在の奥さまだ。18歳になり免許を取得し、初めからトラックは……と躊躇したという。初めて買ったのは、バニング仕様の日産キャラバン。現在の愛車でもある。トラックも同時所有したが、やはり異色車種の方が目立つという理由でキャラバンに全力集中することにしたそう。現在では幼少期にイヤイヤ行かされていた内科の先生が所有していた初代シーマY31のカッコよさが忘れられず、Y31シーマも所有する。そんな2台持ちのカーライフを満喫している。とにかく筋金入りのクルマ好きで、今後もなんら変わらない人生を続けていていきたいと宣言。

「デコチャリは承認欲求に火をつけたきっかけになったことは間違いありません。久しぶりに昔の写真を見返したのですが、現在のキャラバンとデコチャリの飾りがあまりに似ていて、自分でも驚きました。まさにこの頃の憧れを具現化した感じです」と教えてくれた。


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