昭和の子どもはやりたい放題だった
■その3:火薬銃や爆竹が駄菓子屋で売られていた
これもいまでは考えられないことですが、昭和の中期辺りまでの時代では、たまに「パン!」とか「パパパパパン!」という炸裂音が住宅街に響くということがありました。
おそらくそれが海外で、とくに拳銃の所持が認められている国で起こったら、ほとんどの人の脳裏に事件の可能性が頭をよぎるでしょう。治安のよくない地域では反射的に懐から拳銃を出して構える人がいるかもしれません。
しかし、当時の日本では、「あぁ、どこかで子どもがヤンチャな遊びをしているな」という感想で済んでいました。
それというのも、その当時は駄菓子屋の店頭で多くのお菓子と並んで火薬式のオモチャの拳銃や爆竹(バクチク)が売られていたからです。
ちなみにそれがどういうものかというと、火薬式のオモチャの拳銃の方は、薬の錠剤くらいのサイズのプラスチックのカートリッジに火薬が込められたものを拳銃の姿を模したオモチャにセットして、引き金を引くと撃鉄が作動してその火薬を炸裂させるというものです。「パン!」というそれらしい大きな音がするので、刑事ドラマの推しデカを演じるのにもってこいのアイテムでした。
厳しいご家庭では禁止するところもありましたが、小学校の高学年になったら使っていいという家庭が多かったと記憶しています。
そして爆竹の方は、少量の火薬を紙で包み導火線がセットされたもので、いってみれば超ミニサイズのダイナマイトです。だいたい20個くらいが束になった状態で売られていました。こちらは先述の拳銃より火薬の量が多いためか、近くで炸裂させるとしばらく耳がキーンとなるくらいの音を発します。
元々は中国のお祭りなどで景気づけに連続で鳴らされていたものですが、それが日本に輸入され、いつの間にか駄菓子屋の店頭でお菓子や花火と共に並べられるようになっていました。
さすがにこの爆竹は危険な代物という認識がふつうで、多くの家庭では禁止していたと思いますが、ヤンチャな子どもがこっそり買ってきて近所の公園や林などで鳴らして楽しんでいました。
実際にどれくらいの威力があるのかと試してみたところ、当時流行っていた「ガンプラ」がバラバラに粉砕されました。導火線のタイミングが掴めずに手に持ったまま炸裂させてしまった子どももいましたが、ほとんどは部分的な火傷で全治1週間以内という程度で済んでいたように記憶しています。
中学生になり思春期特有の学校や世の中への不安や不満を募らせるようになると、そのはけ口を求めて学校で爆竹を炸裂させるという暴挙に出てしまった子がいたという話も伝わってきました。
いまとなってはそこらの店の店頭ではすっかり姿を消してしまいましたね。
■その4:犬の糞を投げつける恐ろしい子どもたち
最後は、マンガのなかで出てきたら笑えるレベルですが、実際に遭遇したら悲鳴を上げてしまうかもしれない、ある意味何より恐ろしいケースです。
昭和の時代はいまと比べるとだいぶ衛生意識が低く、道端や公園の隅などに犬の糞が落ちていることは日常の光景でした。いまではほとんどの人が常備している犬の散歩用エチケット袋ですが、当時は持ち歩いている人は皆無だったといっていいでしょう。
マンガの「ドクター・スランプ」に代表されるように、子どもたちは「ウ○チ」が大好きです。道端でソレを発見すると必ずといっていいくらいに立ち止まり、キャイキャイとはしゃいでいたものです。
それが少し成長して小学校の低学年を卒業するくらいになると、ただはしゃぐだけでなく、それを罰ゲーム的に扱う子どもが出てきます。エスカレートしたあげく、棒に刺したソレを投げつけるという暴挙に及ぶ輩もけっこういました。それがもし避けられなかったときは最悪です。運悪く流れ弾に当たった他の子に至ってはトラウマになることでしょう。
現代では道端のソレ自体を見かけることがほとんどなくなったおかげでそういう輩も消滅しましたが、今振り返るととても恐ろしいおこないだったと身震いしてしまいました。
さて、いまでは考えられないような昭和の時代の子どもがしていたとんでもない行為を4つピックアップして紹介してみましたが、いかがだったでしょうか。年配の人は懐かしい目をして遠くを見るかもしれません。いまの若い子は眉間にシワを寄せるケースも少なくないでしょう。昭和とは、そういう時代だったのです。