ボロい車体で峠を攻めたらレストアが必要な状況だった!
■不慣れな乗り手がジャジャ馬を手懐けられず、ノックアウト
仕事で昇級したこともあり、ボーナスをつぎ込んでようやく、昔からの憧れだったR32型GT-Rのオーナーになることができました。
走行5万kmくらいで、外観は社外ホイールを履いて太いマフラーを装着しているくらいのほぼノーマルな車両でしたが、なぜかツインプレートのクラッチを装着していました。試乗でそれが気になりつつも、初めて踏む「RB26DETT」エンジンの直6フィーリングの気持ちよさの前には些事に思えてその場で契約してしまいました。あとになってそれが悲劇のトリガーになろうとは、そのときは露ほども思ってはおらず、重くて半クラの少ないクラッチに難儀しながらも、気もちはウキウキで帰途についていました。
あるとき、クルマ好きの友人への披露を兼ねて、都内を軽くドライブすることになりました。まだクラッチの扱いに慣れることができておらず、信号の発進のたびに緊張を強いられていましたが、広めの幹線道路ではなんとかエンストせずに友人への体面を保っていました。
そして、記念写真でも撮ろうとなり川原に向かって住宅街を抜けようとしていたときのこと。左右が塀で完全にブラインド状態のカーブミラーもない交差点に差しかかりました。左右の見通しがほぼゼロなうえに交差側の道はそこそこの交通量というなかなかのプレッシャーのポイントで、しかもクラッチ操作が危うい状態が重なってしまい、内心では冷や汗をかきながらなんとかクリアしないとどうにもならないというプレッシャーのなか、クルマの流れの切れ目を見付けて「ここだ!」とクラッチをつなぎました。しかし、焦りが足に作用してしまったのか、右足がアクセルを強めに踏んでしまったようで、半クラできずにスパッと繋がってしまったクラッチ操作と合わさり、「ドン!」という勢いで発進していました。そして一瞬の後には車体が斜めに傾いていたのです。
交差点を抜けた先で標識のポールに左前部を当てながら、傾いたポールに乗り上げる形で止まっていました。
「やっちまった……」と思った一瞬の後でハッと助手席を確認すると友人の顔は青ざめていましたが、怪我はないようで、その点は不幸中の幸いでした。
その結果、念願だったR32型GT-Rはエンジンにダメージが及び、フレームも曲がっており、修理見積りが購入費用を超えてしまいました。いわゆる全損です。購入してからまだ半年も経っていませんでした。
ちなみにその車両は、知り合いの自動車屋さんの好意で無事なパーツを回収させてもらい、次のGT-Rの予備とすることができましたが、結果として高いパーツ代となってしまいました。
■化粧を落としたら、果てしなく崩れた地肌が露出
これは知り合いが昔に経験したちょっと特殊なケースです。
車両はAE86レビンの3ドアハッチバックです。まだ例のマンガが流行る前に、峠を楽しむのを兼ねた日常の足として、格安で中古車屋に展示されていたハチロクを即決で購入しました。
値段なりにボロい車体でしたが、いちおう試乗をして大きな問題はなかったので、気になるところだけDIYで補修して乗りまわしていました。
エンジンは載せ替えているとのことで思いのほか快調だったので、足まわりやブレーキの確認のため近くの山に向かうことにしました。
※写真はノーマルのカローラレビンのエンジンルーム
山道に入りコーナーをいくつか抜けると、足はかなり柔いと感じたものの登りはそれなりのペースで走れたので、そのまま山を下るルートに入りました。徐々にコーナーの進入速度を高めていき、ノーマルブレーキではそろそろ限界かな、と思った辺りで「ガゴン!」といきなり右前が接地するほど沈んだのです。
ハンドルはなんとか効いたのでそのままゆっくり下って避難スペースにクルマを入れて確認すると、右の前輪がハの字で車体に埋まるように入り込んでいました。バンパーの右前は完全に接地状態です。ボンネットを見ると、ストラットの上あたりが盛り上がって隙間が空いていました。
すぐにレッカーを呼んで知り合いのショップに向かいました。そこで歪んだボンネットを開けてみると、なんと、ストラットの上側が分離してエンジンに当たるほど内側に寄っていたのです。
この時点でかなり修理が面倒なことになるな……と思ったそうですが、トラブルはまだ序の口でした。
後日、ショップに呼び出されて出向いてみるとハチロクはジャッキアップされており、なぜかシートが外されてカーペットも外されています。「これみて見ろ」と示すままに覗いてみて呆然としました。ボディのフロアパネルとサイドシルの段差部分が分離していたんです。この惨状は車体の各部に及んでいました。荷室のテールランプ側の隅は地面が一直線に見える状態で、下を覗くとフレームのスポット溶接部が何カ所か剥がれていました。
その後ショップと話し合った結果、「これは補修のレベルではなく、レストアが必要」という結論となり、安く購入したこともあって、すぐ廃車にしてしまったそうです。
いまのハチロクの価値ならレストアするという選択肢が採れたかもしれませんが、当時では仕方ない判断でした。
やむを得ずに廃車の判断を下さなければならなかったエピソードを3つ紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
どれもいまとなっては大枚はたいて修復しても元が取れそうな車種ばかりですが、おそらく自分だけでなく、その当時は不動車にさほどの価値が認められずにどんどん数が減っていったのでしょう。
結果として入手が困難となり、価格にプレミアが付いていったというのもなかなか切ない流れだなと思います。