「暴走族」のクルマの特徴
「族車」の存在感
「暴走族」が暴走行為をするための武器がオートバイやクルマなどの乗り物で、「暴走族」の「車」ということで「族車」と呼ばれます。
おそらくその始まりは、自身のモヤモヤを外に発散させるためにオートバイやクルマの排気音を街に響かせて走ることだったのでしょう。溜め込んだ声が大きいほど高回転で大音量にして走っていたハズです。
それが次第にエスカレートしてゆき、消音器を外すようになり、いわゆる「直管」で爆音を響かせるようになります。
また、音とともに見た目でも、社会や余所の集団を威嚇するようになっていきます。派手なカラーリングや、大きく外に張り出したボディパーツや、長く上に突き出したマフラー、いわゆる「竹ヤリ出っ歯」がその象徴として全国に浸透していきました。
その一方で、地域や世代によってはレーシングカーの速さに憧れてその要素を採り入れようとする動きもありました。
もっとも激しいボディワークを見せたのは、「グラチャン」の「シルエットカー」そのものといえるカスタムでしょう。先の「出っ歯」はその象徴的な部分ですが、競争意識でエスカレートするうちにどんどん長くなり、1mを超える長さの「出っ歯」を備えるクルマも少なくなかったと記憶しています。
「気合い」なしではただのハリボテ
「おまえ気合い入ってんな!」というのは代表的な相手を認めるワードです。反社会的な活動をおこなううえでは、ハンパな覚悟で参入されても仲間に迷惑がかかるし、シラケるわけです。なにせ抑圧してくる社会や他の集団に対して一歩も引かない姿勢を貫かなければならないわけですから、緩みは許されません。トップにいくほどその意識は高かったことでしょう。
そして、その雰囲気で規律を保ち、集団の意識をひとつにまとめ上げていたといっても良いでしょう。その代わり、仲間のピンチに対しては、集団でそれを排除するように動くことも組織維持の基本です。そんなときは、勝ち負けは二の次で、まず仲間を見捨てないという姿勢が重要なポイントでした。
そんな激しい争いを繰り返すなかで、大きな抗争は命がけという意識が芽生えてきます。そして、その気合いと覚悟の強さを相手に示すため、第二次世界大戦の時の「特攻」をなぞらえて右翼団体が着用していた隊服をアレンジした「特攻服」を着用するようになっていきました。それを次第に常用するようになり、いつしか制服の扱いになっていきます。
ちなみにその「特攻服」に刺繍された「喧嘩上等」を代表とする気合いを示す文々は「族車」にも刻まれるようになり、その流れで「日章旗」などが採り入れられ、いつしか「族車」の代表的なグラフィックとなりました。
つまり、「特攻服」の派手な刺繍や「族車」の竹ヤリ出っ歯、派手なグラフィックなどの過剰な装飾、そして車高の低さなどは、その反骨精神や覚悟の強さを示すためのものであって、けっして目立つことが目的ではないのです。
「族車」には憧れる要素が宿っている
もはや逸脱しているというレベルの派手な外観のなかに、そんな「気合いが宿っていなくてはならない」という考えが守られ、伝えられてきたからこそ、その走る雄姿に憧れを抱き、「いつしか「トップク(特攻服)をまとってシャコタン(車高短車)乗りまわしたい!」と思った後進があとを絶たなくなっていったのでしょう。
そして、それが長く続いたことで、リアルタイムにそれを知らない後の世代や、日本に意識を向けている海外の一部の層にひとつの文化として「カッコイイ!」と受け入れられているのだと思われます。
いまの「暴走族」文化の元になった「本物」が語り継がれるほど凄かったからこそ、その匂いを感じ取った若者の心に訴えかけられるのでしょう。