アウディ50での知見があったからこそA3が輝けた
そして、1974年にアウディ50の発売当初に搭載されたエンジンは1.1リッターの直列4気筒。「50LS」(50馬力)と「50GL」(60馬力)の2バージョンをラインアップし、60馬力仕様車はハイオクガソリンが奨励されていました。
「50LS」は最高速度142km/h、「50GL」は最高速度152km/hをマークして、これまた当時としては十分以上のパフォーマンスだったといえるはず。
なお、50GLもエンジンは1977年に1.3リッターSOHCに変更され、名称もGLSへと変わっています。
50LSの価格は当時8195DM、50GLは8510DMと、同時代ではなかなか強気な値付けで、アウディの市場戦略が早くも垣間見えたとする向きもあるようです。
前述のとおり、シリーズ通算18万台を生産しつつも1978年には生産終了。以降、1996年のA3までアウディのコンパクトモデルは登場しませんでした。が、アウディ50のあとはフォルクスワーゲンが同ジャンルを担うスキムを確立しており、最初に述べたシナジーが発揮された販売戦略が成功を収めているわけです。
プレミアムブランドとして躍進し始めたアウディはA3に続いてA2(2000年)、A1(2010年)と立て続けにコンパクトモデルをリリースし、いずれも50と同じく高評価をもって迎えられています。
そうした意味では、50年前のコンパクトモデル、アウディ50が果たした役割は車体と反比例するかのように決して小さいものではなかったに違いありません。