この記事をまとめると
■愛知県で日本初となる自動車免許制度「乗合自動車営業取締規則」が1903年に制定された
■1914年には44道府県で「自動車取締規則」が規定されて現在のような形態になった
■1952年に「軽自動車」の区分が登場して1960年に「道路交通法」が制定されている
日本の運転免許には120年以上の歴史がある
クルマを運転する際に必要な運転免許。いまではクルマの運転=運転免許と当たり前のように認識されていますが、そもそも運転免許制度はいつから始まったのでしょうか。今回は、運転免許の歴史や法律の変遷を紹介します。
運転免許制度は1903年から始まった
日本で初めて運転免許が交付されたのは1903年のこと。愛知県で日本初となる自動車免許制度「乗合自動車営業取締規則」が制定され、「満20歳以上で、試験の結果、運転技能ありと認めた者」に運転手の鑑札(現在の免許証)が交付されたことが起源とされています。
また、乗合自動車を対象としていることから、現在のバスのようなクルマを運転する際に必要なものとして交付されました。つまり、最初の運転免許は、いまのような自家用車に対する免許ではなかったということです。この当時の自家用自動車は届出制で、試験を受けたり、運転免許の交付を受けたりする必要はありませんでした。
いまも続く自家用車運転免許制度の起源は1907年
現在の運転免許にもつながる自家用自動車の免許制度は1907年からとなります。警視庁が「自動車取締規則」を施行したことに伴い、東京で自家用自動車を運転できるのは運転免許を取得した人だけとなりました。その後、日本全国に「自動車取締規則」が広がり、1914年には44道府県で「自動車取締規則」が規定されました。
このころの運転免許証は、現在の運転免許証のようにカードサイズのものではなく木の札でした。
木札の運転免許証の表面には、「第〇号 自動車運転手鑑札」という文字とともに、住所・氏名・生年月日が記載され、裏面には、交付年月日の記載と交付警察署の焼印が押されています。
法令の全国統一がされたのは1919年
1919年に全国統一の交通法規となる「自動車取締令」が施行されます。全国統一の法規が施行されたのは、大量生産車が普及し、流通台数が急激に増え、さまざまな車種のクルマが街を走るようになり、県をまたぐ移動が増えたためです。
このころの免許は、甲種(どのクルマでも運転できる免許)と乙種(特定自動車や特殊車両などを運転できる限定免許)の2種類。免許を取得するためには、18歳以上かつ車体検査証を所有している必要がありました。つまり、運転免許を取得する前にクルマをもっていなければならなかったということです。
戦後に「軽自動車」区分が登場し法律も「道路交通法」に変わる
法令の全国統一の後、運転免許の種類が増えるなど細かな改正がされ、1933年に自動車取締令が全面的に改正され、免許の名称が「運転手免許」から「運転免許」になりました。
戦後になると、「自動車取締令」が「道路交通取締法」に改正され、免許区分が増え、1952年に「軽自動車」の区分が登場。そして、1960年に「道路交通取締法」にかわる「道路交通法」が制定されました。
改正や変更を繰り返していまの法令になった
1960年の「道路交通法」施行後、法改正や新たな法律の制定、新しい免許区分の創設、罰則の強化、免許制度の細かな変更などがされながら現在の形になりました。
今後も新たなモビリティの登場や自動運転など、さまざまな技術の進歩や進化により、法律は絶えず変更され続けていくでしょう。また、法律の改正に伴い、運転免許制度も見直されたり区分の整理がされたりしていくでしょう。