後世に語り継がれている時点で名デザイン確定!?
フォード・エドセル
映画「フォードvsフェラーリ」で出来たてのGT40に乗せられて感極まったヘンリー・フォード2世が企画したのがエドセルでした。つまり、販売面でGMに水をあけられていたフォードが、フェラーリをやっつけることで若手ユーザーを獲得し、エドセルでGMのオールズモビル、ビュイック、あるいはシボレーといったミドルクラスのユーザーを横取りしようと目論んだのです。
デザイナーは社内の気鋭、ロイ・ブラウンに委ねられたものの、首脳陣からは現行車種との互換性を強く求められ、縛りのきついなかでの作業だったとのこと。その途上、ブラウンはアメ車のグリルは横基調ばかりで縦のモチーフが見当たらないことに気づいたのです。ヒントになったのはロールスロイスやメルセデス・ベンツ、あるいはジャガーといった欧州ブランド。また、ブラウンは若手だけに昔日の香り漂うフィンテールが好きじゃなかったともされています。
で、その結果、エドセルはなんともいえない奇怪なルックスに仕上がったのです。1958年当時、エドセルのフロントマスクは「レモンを吸うオールズモビル」あるいは、馬が口をすぼめた顔などと(笑)。ちなみに、エドセルという名はフォード2世にとっては父親の名でもありました。が、残念ながら新進気鋭のエドセルは3年と経たずに廃番。理由はもちろん売れなかったから。さまざまな理由が重なったといわれてますが、やっぱりおちょぼ口はいつの時代もウケないのかもしれません。
フェラーリ・テスタドーロ
クルマのなんじゃこりゃデザインを任せたら、ルイジ・コラーニの右に出るものはいないのではないでしょうか。彼は曲線ばっかりのデザインで有名ですが、そもそもはベルリンの工業大学を卒業した空力エンジニア。それゆえ、彼の描く曲線にはだいたい根拠があるのだそうです。
こちらのフェラーリ・テスタロッサをベースにコラーニが作り上げた「テスタドーロ」もまた気まぐれでグニャグニャさせたわけでなく、ドイツのスペシャルカーファクトリー「ローテック」から依頼された最高速チャレンジマシンなのです。
有機的な曲線は誰が見ても度肝を抜くものですが、低く長く伸ばされたノーズとテール、そしてローテックによってツインターボ化されたテスタロッサのエンジンでボンネビルに挑戦。1991年には211mphを記録しクラス優勝を果たしたばかりか、その翌年にも記録を更新という快挙を成し遂げています。
なんじゃこりゃ、といったスタイリングゆえの最高速だと思うと、ノーマルデザインもいいですが、テスタドーロもまた魅力的に思えるから不思議です。
なお、ローテックが手放したあとはマラネロのファクトリーへと放出され、その後はフェラーリマニアの太客が手に入れたとのことです。