この記事をまとめると
■ジープ由来のクロカン4WDというのがルーツだった三菱パジェロ
■初代・2代目はラダーフレームを採用していて悪路走破性も抜群だった
■3代目からはラグジュアリー路線を強め2019年4代目モデルで終売となった
ジープをライセンス生産したことから始まるパジェロの歴史
2019年の販売終了から5年、三菱のレジェンド機種「パジェロ」が復活するというウワサがまことしやかに流れている。日本の乗用クロカン4WDモデルとして一時代を作ったパジェロは、現行ラインアップから消えてしまったいまも、高い知名度を誇っている。
だからこそ、復活を報じるだけのニュースバリューもあるといえるが、それでも「パジェロ、なにそれすごいの、おいしいの?」と正直思ってしまう世代も少なくないだろう。なにしろ、その全盛期は1991年といえるからだ。
はたして、パジェロはどんなヒストリーを重ねてきたのか、簡単に整理してみよう。
初代モデルのデビューは1982年。ピックアップトラック「フォルテ」のメカニズムを活用した3ドアの乗用クロカン4WDとして誕生した。
しかしながら、「パジェロ」という名前が最初に登場したのは1973年の東京モーターショーに出展されたコンセプトカー「ジープパジェロ」まで遡れる。
ご存じのように、ジープというのはアメリカ生まれの軍用4WDを三菱がライセンス生産しているモデルであり、日本においてはクロカン4WDカテゴリーの代名詞的存在。いまでもクロカン4WDのことを「ジープタイプ」と呼んでいるベテランドライバーは少なくない。
そんな軍用であり、働くクルマとして活用されてきた本格クロカン4WD「ジープ」をベースにしたレジャー仕様として、パジェロの名前は生まれている。そのアーキテクチャーは別として、市場はジープ由来の乗用タイプとして認識することになった。
デビュー翌年には5ドアのロングボディ仕様が追加設定された。ワゴンは3列シート7人乗りのパッケージとなり、乗用的に使えるクロカン4WDとしてのパジェロイメージを強めた。同時に、1983年からダカールラリー(砂漠で競われるラリーレイド競技)に参戦するなど、モータースポーツへの挑戦も開始している。
1980年代のクロカン4WDのトレンドに倣い、当時は4気筒ディーゼルが主流だったが、モデル後期となる1988年には3リッターV6ガソリンエンジンを追加設定したのも、プレミアム感をプラスしていった。
そんなパジェロのイメージをさらに強めたのが、1991年にフルモデルチェンジした2代目だろう。4気筒ディーゼルとV6ガソリンと副変速機付き4WDシステムといった構成のパワートレインをラダーフレームにマウントするという基本は初代から踏襲しつつ、2代目では「スーパーセレクト4WD」という、その後にパジェロの伝統となるメカニズムを採用した。
内外装のデザインも乗用的になったが、オーバーフェンダーを強調する2トーンカラーはパジェロの象徴となったのも記憶に残る。そんな2代目パジェロは、いまのようなSUVムーブメントも来ていなかった日本市場において、月間販売トップになるほどの人気モデルとなった。
人気テレビ番組の視聴者プレゼントとしてパジェロが用意され、車名を連呼する掛け声がおなじみとなったこともあった。まさにパジェロは、1990年代の「RVブーム」における主役であったのだ。
1997年にはモータースポーツのホモロゲーションモデルとして3.5リッターV6エンジンを搭載した「パジェロエボリューション」が生み出されたのも2代目におけるトピックスのひとつだ。