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車名がそのままブームの名前ってスゴくないか!? バブルを地でいく「初代シーマ伝説」が衝撃だった (2/2ページ)

車名がそのままブームの名前ってスゴくないか!? バブルを地でいく「初代シーマ伝説」が衝撃だった

この記事をまとめると

■初代日産シーマは女優である伊藤かずえさんの愛車として有名だ

■バブル期には「シーマ現象」なる社会現象を巻き起こした

■当時の国産ハイソカーを代表する1台として日本の自動車史に残る名車となっている

510万円のプライスでも大ヒット!

 ちょっと前に伊藤かずえさんの愛車のレストアで久しぶりに大きな話題となったのが、元SMAPの中居くんも以前に乗っていたという日産シーマ。

 その初代Y31型の登場は1988年(1991年に終売)、つまり1985年から1991年に日本で起こった空前のバブル期の最中で、初代トヨタ・セルシオがデビュー(1989年~)した前年だった。当時の日産の高級セダンであるセドリック&グロリアのバブル期ならではの上級仕様であり、グレードによって500万円超え。セドリック・シーマ、グロリア・シーマが販売店別の正式名称であり、プレジデントを除く一般ユーザー向けの日産最上級3ナンバーモデル(プラットフォームはセドグロ)でもあったのだ。

 トヨタ・ソアラを筆頭とした、1980年代に勃発したハイソカーブームもあり、国産、外車を含め、バブル成金だけでなく、若者でさえ高級車に飛びつき、乗りまわした時代だった(シーマは登場後1年で4万台近くが売れたという)。かくいう筆者も、年に2冊は書かせてもらった単行本のギャラでマセラティ・ビターボを「男の2回払い」で手に入れたほど、うかれていた。

 貫禄と優雅さのある4ドアピラーレスハードトップボディは全長4890×全幅1770×全高1380mm、ホイールベース2735mmと、セドグロとは違う3ナンバーボディと「3ナンバーのナンバープレート」(ここも重要だった)をまとい、パワーユニットはVG30DE型3リッターV6ツインカム、200馬力と、当時の国産セダンとして最強だったVG30DET型3リッターV6ツインカムターボの255馬力を出力する2種類。

 高級車はV6……という時代でもあり、ボンネットフードの先端には、メルセデス・ベンツのスリーポインテッドスターならぬ、アカンサスの葉をモチーフにしたオーナメントが燦然と輝き、それが高級車の証でもあったのだ。

 サスペンションも電子制御エアサスペンションを用い、日産の先端技術を惜しみなく投入。インテリアは昭和の応接間のような、当時の国産車としては圧巻の高級志向のデザイン、素材、最高級の装備でまとめられていた。だから最上級グレードで510万円というプライスタグをつけるのだが、当時は高いクルマほど売れる異常な時代でもあったのだ。その背景には、バブル期ならではの土地の高騰がある。家が高くて買えないなら、クルマ=高級車にでもお金を使ってしまおう……という発想である。

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