今でもレース現場で大活躍中!
星野一義
ご存じ「日本一速い男」。1976年F1イン・ジャパンでF1デビューした際、雨の決勝で21番スタートからわずか10周で3位まで浮上。18台抜きのパフォーマンスで世界をあっといわせた。1985年、富士スピードウェイで開催されたWEC-JAPANでは、マーチ・85G/日産を駆って、世界選手権レースでの初の日本人ウイナーとなった。
1992年のデイトナ24時間レースでは、長谷見昌弘、鈴木利男とともに優勝。
グループAではカルソニックカラーのスカイラインGT-R(R32)を駆り、縁石を跨ぐ熱い走りでファンを魅了。「燃える闘魂」の体現者で、エディ・アーバインをはじめ、ハインツ=ハラルド・フレンツェン、ジョニー・ハーバートなど、全日本F3000で星野と戦い、その後F1ドライバーとなった面々からは、リスペクトされる存在だった。
中嶋悟
日本人初のF1フルタイムドライバー。日本のF1ブームは中嶋悟の参戦と、鈴鹿での日本グランプリからはじまった。
1989年最終戦のオーストラリアGPでは、日本人初のファステストラップも記録! 長男、中嶋一貴もウイリアムズから2シーズンF1に参戦した実績がある。
鈴木亜久里
日本人2人目のF1フルタイムドライバーで、日本人ではじめてF1の表彰台に立ったドライバー(1990年の日本グランプリ、マシンはローラLC90 ランボルギーニ)。
引退後はスーパーGTでお馴染みのARTAの代表を務める。2006年から2008年途中まで「スーパーアグリF1チーム」を率いてF1にも参戦していた。
佐藤琢磨
世界三大レースのひとつ、インディ500を2017年、2020年と2回も制したレーシングレジェンド。2001年には日本人として初めて、イギリスF3でチャンピオン、同年マカオGPでも日本人ではじめて優勝している。
2003年から参戦したF1では、2004年のヨーロッパGPで日本人初のフロントロー獲得、ラップリーダーを記録。アメリカGPでは3位フィニッシュで表彰台に。
現時点で、もっとも結果を出した日本人ドライバーといえる。
篠塚建次郎
日本人ではじめて世界ラリー選手権 (WRC)とパリ・ダカールラリーでウイナーとなったラリードライバー。1980年代後半からのパリダカブーム、パジェロブームはシノケン効果が大きい。
今年3月、膵臓ガンのため逝去。
新井敏弘
2005年、PCWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)のチャンピオンを獲得。FIA公認の世界選手権で、日本人初のワールドチャンピオンに輝いた。
2007年にもPWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)シリーズチャンピオンを獲得し、「世界のトシアライ」として、日本のラリー界を牽引。
そのほか、ホンダF1の初代監督、中村良夫は、1965年のメキシコGPで、ホンダRA272改が初優勝を果たしたときの監督で、現地から「Veni, vidi, vici(来た、見た、勝った)」と電報を送ったことでも有名。
またホンダの第二期F1参戦で指揮を執った、桜井淑敏もモータースポーツ史に残る名エンジニア、名監督だった。