世界各国で販売され大ヒットとなった
初代CR-Vは当初、クリエイティブムーバーとして日本専売を予定していたものの、その完成度やライトクロカンとしての走りのよさに目を付けた北米ホンダからの要望で、急遽、左ハンドルの輸出仕様を展開。気づけば世界各国での大ヒット車種となったのである。2001年までの6年間の生産台数は24万台近くに及んだほどだ。
初代CR-Vはアフターマーケットでも活況。車両本体だけでなく、社外品のボディパーツ、アクセサリーもバカ売れし、事業を拡大できたアフターパーツメーカーも多かった。
じつは当時、ハワイ、ラスベガスなどのガイドブックの取材を行っていた筆者のところに、国内の某アフターパーツメーカーから、ラスベガスで例年開催されているSEMAショー出展、ラスベガスでのコンプリートカーの撮影のため、「ラスベガスでの案内役を引き受けてくれないか……」という声がかかり、スタッフといっしょにラスベガスに飛んだことがある。
現地ではすでに北米仕様のCR-Vにそのアフターパーツメーカーのエアロパーツなどが組み込まれた車両がスタンバイしていて、現地の友人コーディネーター夫婦とともにアテンドした経験がある。
※画像はノーマルモデル
なんでそんな30年近くも前の話をしたかといえば、1990年代後半の北米、ラスベガスでのCR-Vの注目度の高さゆえだ。高級車がひしめくカジノホテルのエントランスに乗りつけても、周囲から「カッコいいぜ」という声がかかり、バレーパーキング担当のスタッフからも「オレも欲しいぜ、こんなクールなホンダ!!」などといわれたし、ロサンゼルスカジノを楽しみにやってきた老夫婦からも、「これ、アメリカで買えるの?」と聞かれたりしたのである(まぁ、超カッコよくドレスアップしたCR-Vだったということもあるけれど)。
つまり、1995年にデビューした初代CR-Vは、まだクロスオーバーSUVがめずらしい時代の乗用車ベースのライトクロカンのパイオニアとして一世を風靡。初代オデッセイ(1994年~)やステップワゴン(1996年~)とともに、当時のホンダを一気に蘇らせたクリエイティブムーバーの1台だったのである。