この記事をまとめると
■「くうねるあそぶ。」というキャッチフレーズで人気を博した日産セフィーロを振り返る
■ファッション性を重視したパーソナルセダンとしてのキャラクターを持っていた
■スカイラインと共通な点も多く、2000年初頭ではドリフトのベース車としても人気だった
ドリフトの世界でも愛された名セダン!
近年はセダン受難の時代が長く続いているが、1980年代から90年代にかけてはまだまだセダンが元気な時代で、各メーカー複数のセダンをラインアップすることも珍しくなかった。
それは日産も同様で、ミドルクラスセダンとして圧倒的なシェアを誇っていたマークII3兄弟に対抗するため、ローレル、スカイラインに次ぐモデルとして1988年にリリースしたのがセフィーロだった。
当時のCMでは「くうねるあそぶ。」というキャッチコピーが話題となったセフィーロは、C33型ローレルやR32型スカイラインと基本コンポーネンツを共有したモデルとなっており、豪華なイメージのローレル、スポーティなイメージのスカイラインに対し、ファッション性を重視したパーソナルセダンというキャラクターが与えられていた。
そのため、当時は3つのエンジン、3つのサスペンション、ATとMTの2種類のトランスミッション、9色の外装色、6種類の内装材などを組み合わせて自分好みの1台を注文できる「セフィーロ・コーディネーション」を導入していたことでも話題となった。
用意されたエンジンは直列6気筒2リッターのRB20型エンジンで、SOHC仕様、DOHC仕様、DOHCターボ仕様の3つで、足まわりは標準サスペンションのほか、電子制御DUET-SS仕様と4輪操舵HICAS-II仕様が用意されていた。
ただ、このセフィーロ・コーディネーションは1990年8月のマイナーチェンジのタイミングで廃止となってしまった。やはりセミオーダーメイドシステムは、生産上なかなかハードルが高かったということなのかもしれない。
そんなセフィーロは1994年にフルモデルチェンジを果たすが、ここでローレルやスカイラインとの関係に終止符を打ち、マキシマの後継車種として前輪駆動レイアウトのミドルクラスセダンに生まれ変わっている。
一方、初代セフィーロは、ローレルやスカイラインと基本コンポーネンツを共有するFRモデルということで、中古車が底値となっていた2000年前後にはドリフトマシンとして人気を博しており、RB25DET型やRB26DETT型エンジンを換装したような個体も珍しくなかった。
ただし、現在はすっかりネオクラシックカーの仲間入りを果たしたようで、100万円以下で乗り出せる個体はほとんどなく、状態の良いモノでは200万円を超えるものも珍しくない状況となっている。