リトラクタブル式ならぬ回転式ヘッドライトを装備していた
ちなみにヘッドライトは正確にはリトラクタブル式ではなく、左右ともにコクピットから見て左回転でランプが現れ、右回転で格納されるという回転式で、モーターやバキュームなどは用いず、センターコンソールのレバーで開閉する方式だった。
このように、我が国ではトヨタ2000GTと比較してしまいがちなオペルGTではあるが、海外では「ベビー・コルベット」と呼ばれることが多い。
考えてみれば、シボレーもオペルも同じGMグループだし、スタイリングは同じ1968年にデビューした3代目コルベットの初期型、通称アイアンバンパーに似ている。海外のメディアではコルベット同様、GMのコンセプトカー、マコ・シャークIIに影響を受けたという記述も多い。
ボディの架装は鉄道車両作りを本業とするフランスのブリッソノー・エ・ロッツという会社が担当していたが、まもなく同社が、現在欧州最大の鉄道車両・インフラ会社であるアルストムに吸収されたことで、自動車業界から撤退することになり、オペルGTの生産も1973年で終わった。
しかしながら生産台数は約10万台と、トヨタ2000GTとは比べ物にならないほど多かった。そのうち7割がアメリカに輸出されたそうで、ベビー・コルベットという愛称が与えられた理由がよくわかる。