最後のドライブは赤色灯に肝を冷やすも最後はほっこり
そんなフェアレディZにぞっこんだった新婚のわが家だが、1985年の夏、子どもができたのを機に、泣く泣く手放すことになる(次の愛車は後席に乗り降りしやすくチャイルドシートが付けられる4ドアのVWゴルフII MT)。
今回のお題である「愛車を手放したときのドラマ」は、マンハッタンカラーのフェアレディ280Z Tバールーフの最後のドライブで起こった。目的地は自動車雑誌の撮影でもよく使われる箱根。そこで愛車の最後の写真を撮る予定だった。東名高速道路を快調に走っていると、気づけば後ろからサイレンの音。うそだろ! 我が愛車のフェアレディZがスピード違反で捕まったのだ。しかし、パトカーもまた高速機動隊のマンハッタンカラーならぬ白黒2トーンカラーのフェアレディZ。
パトカーのフェアレディZに切符を切られるために乗り込んだのだが、「どこへ、なにをしに走っていたのか」と聞かれ、「子どもができるので、泣く泣くフェアレディZを手放すことに決め、その最後のドライブをするため箱根に向かっていたんです」と話すと、お腹ボッコリのカミサンの姿を確認したそのフェアレディZの高速機動隊員の方から、想像もつかない言葉が出たのである。「そういうことなら、今回は……。罰金を払ったつもりで、奥さんに美味しいもの、栄養になるものを食べさせてあげなさい」。
お互い、フェアレディZ同士だったからかも知れないが、我がフェアレディZとの最後の思い出ドライブに一輪の花(!?)を添えてくれたのだった。
昭和の時代だからこそのほのぼのエピソード、ちょっとしたドラマだが(いまでは絶対にそうはならないだろう)、帰りはTバールーフを開け、”制限速度”で彼女(→カミサン)との青春を駆け抜けさせてくれたスポーツカーのツーリングを目いっぱい楽しみ、最後のフェアレディZとの思い出を深く記憶に残したことはいうまでもない。
だからこそ、いま、こうして鮮明な記憶を蘇らせつつ、39年も前の顛末を書き綴ることができるのだ。