この記事をまとめると
■愛知県豊田市はトヨタ自動車の発展とともに繁栄してきた
■豊田市内には鉄道が4路線乗り入れており、交通の便に関して改善を求める声はほぼない
■豊田市へのアクセスにはやや時間がかかるが、郊外工業地帯としてみれば十分に公共交通機関も発達しているといえる
トヨタとともに繁栄した挙母市が「豊田市」に改名
日本が誇る製造メーカーのひとつ「トヨタ自動車株式会社」は、2023年の営業収益43兆円と、ブラジルの国家予算と同じレベルの規模の売り上げを記録する世界でも有数の企業です。ダイハツ、日野などを含むグループ全体としては、世界の自動車関連企業でトップの販売台数を誇ります。
そんなトヨタが本社を置く愛知県の「豊田市」は、トヨタの繁栄をともに過ごしてきた都市だけに、さぞや近代化が進み、ちょっとしたメトロポリスのような姿になっていてもおかしくはない、と考えたりしてしまいます。
しかし、いざトヨタ自動車の本社工場を訊ねてみると、名古屋駅からの公共交通でのアクセスはけっしていいとはいえず、取材でちょくちょく訪れる編集部員からは「乗り換えがちょっと……」という声が聞こえてきたりします。
そこでここでは、そんな「豊田市」の公共交通事情について少し調べてみましたので、その実際をお伝えしてみたいと思います。
■豊田市(とよたし)の成り立ち
現「豊田市」は、もともとは「挙母市(ころもし)」という名称からスタートしました。
その母体となる「挙母町」は養蚕・製糸業の町として栄えていましたが、需要の低下で町の産業が衰えてしまいます。そのテコ入れ政策として、大手の繊維業となっていた「豊田(とよだ)自動織機製作所」の新業態である「トヨタ自動車工業株式会社」の誘致を計画しました。
1938年には「論地ヶ原(現豊田市トヨタ町)」に大規模な工場が完成。稼働後は「トヨタ」の発展にともない、産業の収益とともに人口も増加して、1951年に「挙母市」にグレードアップしました。
そしてそれから8年後、トヨタの所属する挙母市の商工会議所から市の名称変更の要請が出されました。当時は賛否に分かれて議論が交わされたようですが、最終的には世界的な規模の自動車メーカーとともに歩むという目的に沿って、「豊田市(とよたし)」という名称に変更されました。
そして「愛・地球博」がおこなわれた2005年には、山間部を含む藤岡・小原・下山・足助・旭・稲武の周辺地域を合併し、愛知県でも最大の広さを持つ市となりました。
豊田市の総人口は約42万人で、愛知県では名古屋市に次ぐ2位の位置づけです。ちなみに日本の自治体のランキングでは50位(2024年時)にあたります。そのなかで、住民の85%がトヨタ関連の企業に従業していると言われています。
豊田市の2019年(令和元年)の製造品出荷額は15兆1717億円で、堂々の全国第1位です。自動車関連額の割合は97.6%とほとんどを占めているそうで、まさに「トヨタの城下町」という表現がピッタリといえます。