日本のバイクは「メグロ」なしには語れない! カワサキの手でその名が復活した「メグロ」の胸熱ストーリー (2/2ページ)

100周年となる2024年にはさらなるモデルをリリース予定

 このZ97というモデル名ですが、Zは海軍が使っていた国際信号旗からの命名。アルファベットの最終文字ということで、「この戦いに敗れたらあとがない」という決戦の士気高揚を表すとされており、当時の目黒製作所が置かれていた立場や時代を象徴しています。また、97についても第二次大戦当時まで使われていた皇紀から2597年(西暦1937年)製造というネーミング。じつに時代を感じさせるものではあります。

※写真はメグロ Z号(戦後)

 で、カワサキとの馴れ初めですが、当時は川崎航空機工業として飛行機やバイクのエンジンを供給していたのですが「どうせならバイクも作っちゃおうぜ」となり、川崎航空機工業製のエンジン使ったバイクを作るために大日本機械工業のバイク製造権を引き継いだ明発工業が1953年に設立されました。なお、大日本工業はカワサキのエンジンの大口納入先でした。ちなみに、明発は明石の発動機って直截的なネーミングです。

 もっとも、明発が作ったのはノウハウの少なさもあって主に125ccクラスで、おまけに販売網も満足いくものではありませんでした。そこで、大型車のノウハウもあり、全国にメグロディーラーを展開していた目黒製作所と提携することになったのです。一方、目黒製作所としてはその頃に台頭してきたホンダやスズキに対して苦戦していたので、渡りに船だったことは確かでしょう。とはいえ、最初は提携事業(1960)だったものが目黒製作所の業績不振が続き、1964年にカワサキに吸収合併という運びとなってしまうのでした。

 このメグロ末期といえる時期、1960年にリリースしたのが先のZシリーズの後継を担う「スタミナK1」という渾身のモデル。497cc並列2気筒エンジンを積んだバイクで、これこそのちのカワサキW1の原型となったのです。なお、1965年にはK2へと進化していますが、車名は「カワサキ500メグロK2」を名乗り、両社の蜜月を表しているといえるでしょう。なお、K1まではタンクのエンブレムが純然とメグロ(Meguro WorksのMとWを象っています)でしたが、K2ではMWの代わりに元祖カワサキのロゴ、川の字を表徴したリバーマークが編入されたものが採用されています。

 650 W1(通称:ダブワン)になるとさすがに若い方でも聞いたことがある車名かと思いますが、これがのちにW650に名を変え、いくらかブラッシュアップされています。その後、排ガス対策から排気量アップがなされるとW800へとモデルチェンジ。とはいえ、K1からすると4回のモデルチェンジを重ねているものの、スタイルはおおざっぱにいえば「さほど変わっていない」のが驚くべきポイントかと。ディテールを見れば2020年、提携60年の節目の年に発表されたMEGURO K3は、このW800のタンクエンブレムやシートの変更などが施されていました。

 また、2024年にはカワサキ・メグロの250ccモデル「MEGURO S1」のリバイバルも予定されています。こちらも、1965年に発売したカワサキ250メグロSGというコンパクトモデルへのオマージュであり、ホンダやスズキの追撃に負けじと目黒製作所が頑張ったもの。なお、メグロ創業100周年としているのは、1924年8月に「村田鉄工所」と「鈴木鉄工所」を運営していたふたりが共同で会社を作って、「目黒製作所」としたタイミングを指しているのかと。

 いずれにしろ、MEGURO K3やS1のリバイバルは、伝説的ブランドを再び価値付けするマーケティング手法といってしまえばそれまでですが、歴史を振り返るとカワサキが黎明期のパートナーシップ、メグロから受けた恩を返していると見ることもできるでしょう。世の中の復刻ブームとはひと味違って、ほんのり胸アツになるのはそんな理由かもしれません。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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三菱パジェロミニ/ビューエルXB12R/KTM 690SMC
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DJ(DJ Bassy名義で活動中)/バイク(コースデビューしてコケまくり)
好きな有名人
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