この記事をまとめると
■日本発のスーパーカーとして計画されていた「ジオット・キャスピタ」
■1号車にはスバルとモトーリ・モデルニによる水平対向12気筒を、2号車にはジャッドのV10を搭載
■2号車の公開時にジオット・キャスピタが市販されないことも発表された
まだ誰もなし得てなかったカーボンモノコックフレームを採用
「F1 on the Road」あるいは「オンロード最速のスポーツカー」と、さまざまな耳に心地よいコンセプトを掲げ、この日本から一台のスーパーカーが誕生しようとしていた。1980年代から1990年代にかけて日本を中心に開発が進められたジオット・キャスピタがそれである。
イタリアのルネサンス期に活躍した天才画家であり、また建築家でもあった、ジオット・ディ・ボンドーネからその社名をとったジオット社は、服飾メーカーのワコール社によって1988年に設立されたメーカーで、その新型車の開発と製造は、WASCAP(ワーコール・スポーツカー・プロジェクト)委員会の決定によるものとされた。主宰者はもちろんワコール社長の塚本能交氏、さらに童夢の林みのる氏やデザイナーの伊藤邦久氏、レーシングドライバーの松本恵二氏などが、このWASCAPには名を連ねていた。
キャスピタは、当時のスーパーツとしては何もかもが斬新なメカニズムを採用したスーパースポーツだった。まず、その基本構造体たるカーボンモノコックシャシーの採用。あのフェラーリでさえ、1987年発表のF40には鉄管スペースフレームをカーボンパネル等々で補強したシャシーを与えていた時代、あのブガッティでさえEB110でカーボンモノコックを実現したのは1991年の話なのだ。
このカーボンモノコックの開発とともに、シャシーやエンジンの仕様も次々に決定されていった。カーボンモノコックは正確には、アルミハニカムをサンドイッチした構造のカーボンコンポジットによるもので、単体重量はわずかに85kg。
サスペンションは前後ともプッシュロッド式のダブルウイッシュボーンで、インボードコイルを持つ。ダンパーにはSHOWA製の減衰力可変式が用いられた。ブレーキはブレンボ製のツインディスクでローター径は332mm。これは当時のグループCカーと同様のスペックだ。
ミッドに搭載されるエンジンはスバルと、イタリアのモトーリ・モデルニが1990年からF1のコローニに供給する予定だった、3497ccの水平対向12気筒DOHC5バルブ。
最高出力はF1用では600馬力を発揮するとされていたが、キャスピタにはそのデチューン版の450馬力仕様が搭載される予定であることが、WASCAPの設立発表より、やや早い段階で決定していた。