この記事をまとめると
■1991年の東京モーターショーでアウディはコンセプトモデル「アブス・クワトロ」を発表
■クワトロはもちろん、アルミボディやW12エンジンなどはその後のVWグループの礎となった
■「アブス・クワトロ」は世界中から市販の要望が集まったが販売されることはなかった
アウディが東京モーターショーで発表したコンセプトかー
1991年の東京モーターショーで発表されたアウディのコンセプトカー「アブス・クワトロ」は、年配のクルマ好きならすぐさま「ああ、アレか」とピンとくるくらい、強烈な印象を胸に刻んでくれたものでしょう。
活きのいい太刀魚かのように磨き上げられたアルミボディや、当時としては斬新だったコンポーネントコンシャスなエアロボディ、そして耳慣れないW型12気筒エンジンを搭載予定とくれば、ショーの期間中ずっと黒山の人だかりだったこといまでもまぶたに浮かびます。
その後、アウディが、そしてフォルクスワーゲングループが辿った高級車、ハイパーカー路線は、まさにアブス・クワトロが先駆けとなったこと疑いようもありません。
1980年代のアウディといえば、80/90/100それぞれクワトロという全輪駆動システムこそ目新しかったものの、さしてスポットライトを浴びるほど華のあるラインアップではなかったかと。むろん、WRCにおけるクワトロの快進撃は一部のマニアの胸を熱くしていたものの、マーケットにおける確固たるポジションを得るには至りませんでした。
そこで、1988年に同社の会長に就任したフェルディナント・ピエヒが陣頭指揮を執り、いまでいうハイパーカーを作って人々の度肝を抜く計画がスタートしたとされています。
ご承知のとおり、ピエヒはポルシェ一族の出身であり、また生粋のエンジニア。ポルシェ時代には908や917といった伝説的なレーシングカーの設計に携わっただけでなく、アウディに移籍してからは、当のクワトロシステムや5気筒エンジンに偏執的なまでにこだわるなど、自動車業界に与えたインパクトは最大級といっても過言ではありません。
ピエヒが開発陣にリクエストしたのは、当然アウディの強みをアピールできるモデルとすること。すなわち、次世代クワトロシステム、アルミを利用した軽量かつ強靭なコンストラクション、そして開発途上にあったW12エンジンを用いることで、アウディの先進性や高い技術力を見せつけることを目論んだわけです。
そして、1991年、東京モーターショーの前に開催されたフランクフルトモーターショーで発表されたのが「クワトロ・スパイダー」でした。2.8リッターのV6エンジンをミッドに縦置き、3つのデフを装備したクワトロシステム、そしてスパイダーの名が表すとおり脱着式ルーフを備えたアルミボディと、それまでのアウディとはまったく異なった路線に人々は驚きを隠せなかったものです。
が、ピエヒとしては「驚くのはまだ早い」とほくそ笑んでいたのかと。なにしろ、クワトロ・スパイダーには、自らがのめり込んだW12エンジンに関する情報は一切仕込まれておらず、人々はまさか東京でアブスが発表されることなど夢にも思っていなかったのですから。