この記事をまとめると
■当時のマツダを救った立役者の初代デミオを振り返る
■コンパクトなボディサイズでもマウンテンバイク2台が収納できる広さを確保した
■商品コンセプトと低価格で1996年の日本カー・オブ・ザ・イヤー特別賞を受賞
立駐に入るサイズなのに自転車2台が積める驚異のパッケージ
現行型のMAZDA2は、コンパクトクラスのモデルでありながら、クラスを超えた上質さや走りのよさをもったモデルとして、登場から年数が経過した現在でも一定の評価をキープし続けている紛うことなき名車のひとつだ。
そんなMAZDA2の前身であるデミオの初代モデルは1996年8月に登場。これが爆発的な大ヒット車種となり、当時経営の危機に瀕していたマツダを救う立役者となった。今回はそんな初代デミオを改めて振り返ってみたい。
初代デミオは1990年9月にオートザム店向けにリリースされたレビューに使用されたDプラットフォームをもとに生まれており、2390mmのホイールベースや3800mmの全長はまったく同じとなっていた。ただセダン型のレビューに対してデミオはミニバン風のステーションワゴンボディとなっていたのが大きな違い。
当時、日本ではミニバンブームとなっていたが、立体駐車場に入れない全高がネックとなっていたが、デミオは背高STYLEではあるが立体駐車場に入れることができる1535mmに全高を設定。そこに着座位置が高めとなるシートレイアウトを採用したことで、短い全長ながら広々とした室内空間を実現した。
さらにリヤシートはフロントシートよりも着座位置を高めて見晴らしも確保した上で、160mmものロングスライド機構を追加。そして5:5分割可倒式&リクライニングや、ダブルフォールディング、フルリクライニングが可能というフレキシブルさで、マウンテンバイク2台を積載できるほどのラゲッジスペースを持っていた点も人気を集めた理由のひとつだった。
搭載されたパワートレインは直列4気筒SOHCの1.3リッター及び1.5リッターで、5速MTと4速AT(1.3リッターモデルは当初3速AT)、足まわりはフロントがストラット、リヤがトーションビームとコンパクトカーとしては一般的な組み合わせとなっていたが、じつは初代からワンメイクレースが行われるなど、マツダらしく走りのよさも兼ね備えた仕上がりとなっている。
そんなデミオは抜群のパッケージングと100万円を切るスタート価格も相まって、発売からわずか3カ月でおよそ3.2万台という受注を集め、同年の日本カー・オブ・ザ・イヤーの特別賞を受賞するなど、ユーザー、ジャーナリスト双方から高い評価を集めた。
結局、初代デミオはメーカー自身が「予想を上まわる」と評するほどの人気ぶりとなり、およそ6年間で48万台弱を売り上げてマツダの経営不振を救う立役者となったのである。