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近藤真彦さんのモータースポーツへの貢献度がハンパない! 自動車業界にとっては「芸能人感ゼロ」の活動っぷりだった (1/2ページ)

近藤真彦さんのモータースポーツへの貢献度がハンパない! 自動車業界にとっては「芸能人感ゼロ」の活動っぷりだった

この記事をまとめると

■近藤真彦さんは芸能人のイメージが強いがモータースポーツにも携わっている

■スーパーGTやスーパーフォーミュラでも輝かしい功績を挙げている

■チーム監督だけでなく2023年から日本レースプロモーション(JRP)の会長へ就任した

ドライバーとして活躍しオーナー兼監督としていまも辣腕を振るう

 一般的に「近藤真彦」という名前を聞けば、多くの人々がアイドル出身の歌手、そして俳優やタレントとしての近藤氏をイメージするだろう。

 しかし、筆者にとってあくまでも近藤氏はモータースポーツ業界の人であり、かつてはドライバーとして活躍、現在は自社チームの代表であり、監督として活躍している姿を真っ先に思い浮かべる。

 ジャニーズ事務所のアイドルとして芸能活動を行っていた近藤氏がモータースポーツ活動を始めたのは1984年で、富士フレッシュマンレースでレースシーンにデビューした。1988年から1993年には全日本F3選手権で活躍したほか、1994年にはル・マン24時間レースへ初参戦。同年には全日本GT選手権で初優勝を獲得したほか、その後は全日本F3000選手権、フォーミュラ・ニッポンなど国内トップフォーミュラレースでも入賞を果たすなど、まさにドライバーとして最前線で活躍してきた。

 2000年に自社チーム「KONDO RACING」を結成した後もチームオーナーおよびチーム監督、そしてドライバーといったように「一人三役」で活躍した。その後はドライバーとしての活動を休止したが、監督として辣腕を振るい、2006年にはフォーミュラ・ニッポン/スーパーGTのGT500クラスに参戦するほか、2007年の第4戦・マレーシアではジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ選手/荒聖治選手のドライビングによりスーパーGTのGT500クラスで初優勝を獲得。

 2008年のフォーミュラ・ニッポンではオリベイラ選手のドライビングにより第7戦の富士スピードウェイで、初優勝を獲得するなど、トップカテゴリーで躍進したことは記憶に新しい。

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