ソアラの系譜はすでに2代目で終わっていた!?
ソアラのフルモデルチェンジが失敗に終わった理由は、表層的に見るのであれば「日本ではアメリカンテイストのクルマは一部の人にしかウケないのに、アメリカンテイストを採用したから」ということになるのだろう。
ファッションの世界では「アメリカンカジュアル」は永遠の人気定番カテゴリーであり、飲食においても「アメリカンダイナーっぽい感じのお店」の人気は高い。しかし、なぜかは知らないが「アメリカンテイストなクルマ」だけは、1980年代以降の日本では一般ウケしにくいのだ。3代目以降のソアラしかり、日産レパードJフェリーしかりである。
だが、これはあくまでも表層的な見方でしかない。より本質的には「ソアラの系譜は、じつは2代目ですでに終わっていた」と見るほうが正しいはずだ。
つまり、トヨタ・ソアラというジャパニーズ・ハイエンドクーペの歴史は2代目でバシッと完結しており、3代目と4代目のソアラは世を忍ぶ仮の姿というか、あくまでも「レクサスSC」でしかなかった。が、それにたまたまというか何というか、ソアラという名前を無理やり付けて、日本市場でも無理やり売ることになった──というのが実態であったように思う。
それが証拠に、4代目ソアラの日本における月販目標台数はわずか100台でしかなかったのだ。
となると、トヨタ・ソアラは冒頭付近で申し上げた「結果として廃番になってしまった悲しいモデル」であることは間違いないが、「フルモデルチェンジを重ねることで逆に商品力を落としていったモデル」とは少し違うのかもしれない。
3代目、4代目へのフルモデルチェンジ時にソアラが商品力を落としたのは確かにそうかもしれないが、それは「多くの日本人から見た場合の話」でしかない。なるべく客観的に、世界市民的に見た場合のソアラの商品力は、「むしろ代を追うごとに上がっている」ということもできるはず。つまり、ソアラはフルモデルチェンジによって商品力が落ちたというよりは、「フルモデルチェンジ時に、いつの間にか中身が別物へとすり替わっていた」というべきクルマなのだ。
本稿のタイトルである「かつては人気だったけど最終モデルはダメだった! 代を追うごとに人気がなくなって消滅してしまった過去の名車」とは、歴代のトヨタ・ソアラではなく、たとえば日産マーチと三菱ミラージュにこそ当てはまるのだろう。
とくにマーチは3代目のK12型がウルトラスーパー素晴らしかっただけに、最終世代となったK13型へのフルモデルチェンジは「なんとも悲しいモデルチェンジ」であったように思う。