この記事をまとめると
■自動車ライターの藤田竜太氏が選ぶ最高の国産車と輸入車を紹介
■史上最高の国産車は迷うことなくR32GT-Rにその栄誉を与えたい
■輸入車はイタリアのスーパーカーとイギリスのスーパーカーのどちらも捨てがたい
史上最高の名車は何かという命題は非常に重い
クルマの歴史を振り返ると、1886年にガソリン車の第一号、ベンツの「パテント・モートルヴァーゲン」が誕生し、1888年にダンロップが世界初の空気入りタイヤの特許を取得して翌1889年に法人を設立。ミシュランも同じく1889年の創業となる。
そして日本では今年、日産自動車が創業90周年を迎える。
こうした140年近い自動車の歴史のなかで、史上最高の名車は何かという命題は、非常に重い。
たとえばT型フォードや、VWビートルなどは、外せないといえば外せないが、もっと近現代でスポーツカーに絞り、なおかつ独断と偏見で選ばせてもらうと、次の2台でどうだろう。
国産車はあまり迷わず、日産スカイラインGT-R(BNR32)にその栄誉を与えたい。
R32GT-Rは、昭和から平成の変わり目に、国産スポーツカーのパフォーマンスとクオリティを一気に10年以上進化させたエポックメイキングなクルマだったからだ。
オイルショック以降、パッとしなかった国産スポーツは、1985年に始まった全日本ツーリングカー選手権=グループAレースでも、ヨーロッパ勢に惨敗。とくに最終戦、インターTECではフライング・ブリックといわれたボルボ240ターボに富士で7周もの大差をつけられてしまった(国産勢トップはスタリオンの4位。R30スカイラインはボルボから11周遅れ!)。
その後もBMWやジャガーXJS、フォードシエラRS500などの後塵を浴び続け、その悔しさに熨斗を付けて返したのが、R32GT-Rだった(グループAレースではデビュー以来、29戦29勝無敗の大記録を樹立)。
市販車でも、1964年の第2回日本グランプリ以来、スカイラインの宿敵だったポルシェを、ドイツの聖地、ニュルブルクリンクで撃沈。当時、ポルシェ911ターボが持っていたニュルでの市販車最速タイムを更新し、国産車ではじめて世界最速のスポーツカーの座に君臨にした。
また、チューニングカーでは、ゼロヨンや最高速(320km/hオーバー)、0-300km/h加速、筑波サーキットのラップタイムetc.を、すべて大幅に塗り替え、圧倒的に飛び抜けた存在に!
とくにエンジン=RB26DETTは、グループA用に600馬力を想定して開発されたエンジンで、リミッターカットするだけで、最高速は250km/h。フルチューンすれば、1000馬力の大台に乗るポテンシャルを持っていたが、そんなエンジンはRB26DETTが登場するまで、国産には一基もなかった。
そうした表向きの理由とは別に、R32GT-Rはすべてが祝福されたクルマだった!
R32GT-R以前にも、エンジンのパワー競走というのは存在し、DOHC対ターボがあったり、R30スカイライン2000ターボRSが190馬力になり「史上最強のスカイライン」と名乗ったり、鉄仮面スカイライン(R30)が205馬力になったときは興奮したものだった。そして、Z32とR32が国内自主規制の上限、280馬力になったときも大興奮。
しかしエンジンパワーでエキサイティングしたのは、正直、R32GT-Rまで。1000馬力も、筑波1分切りも、最高速320km/hも、ゼロヨン9秒台も、全部R32GT-Rで経験済み。そこから市販車・ノーマルで500馬力、600馬力といわれても、もうあの興奮は味わえない。
また、R32GT-Rの電子制御=ドライバーズエイドは、ABSとトルクスプリット4WDのアテーサE-TSぐらい。いまとなっては本当に最小限の電子制御で、TCSすらついていない。だからこそ、ドライバーとクルマが一対一で向き合える。
それが幸せで、理屈抜きでクルマの進歩って素晴らしいと思えた最後のスポーツカーが、R32GT-Rというクルマだった。これは極論かもしれないが、スポーツカーに革命を起こし、同時に性能向上というものを頭打ちにさせてしまった意味で、R32GT-Rは空前絶後の名車だと、断定させてもらうことにする。