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南米でやっても中東でやっても「ダカールラリー」ってナゼ? 日本人も日本車も大活躍する超有名ラリーの謎 (1/2ページ)

南米でやっても中東でやっても「ダカールラリー」ってナゼ? 日本人も日本車も大活躍する超有名ラリーの謎

この記事をまとめると

■「ダカールラリー」は例年年明けに開催される

■昔はフランス・パリからセネガルの首都ダカールまでを走破していた

■現在は日本メーカーも参戦しており4輪だけでなく2輪メーカーも熾烈な争いをしている

パリダカってなに?

 毎年、年明けに行なわれるダカールラリーは、世界ラリーレイド選手権の開幕戦で、世界でもっともメジャーなラリー競技。

 第1回大会は1978年で、フランスのパリをスタートし、地中海を渡りアフリカ大陸へ上陸。サハラ砂漠を縦断し、セネガルの⾸都ダカールをゴールする、1万2000kmのレースだったため、パリ・ダカールラリー、通称『パリ・ダカ』として知られている。

 このパリダカ、走行距離が1万km以上、開催期間3週間、1日の走行距離が800km以上になることもあり、完走率が50%未満のことも珍しくなく、「世界一過酷なモータースポーツ」と呼ばれてきた。

 このラリーの創始者は、フランス人冒険家でラリーストでもあった、ティエリー・サビーヌ。

 彼は第1回大会のときに、「私が冒険の扉を示す。開くのは君だ。望むなら連れて行こう」という名言を残しており、四輪だけでなくバイクでも出場可能で、プロドライバー・ライダーだけでなく、アマチュアレーサーにもその門戸を開いていた。

 一方で、その過酷さと完走率の低さから、「ラリーを完走したすべての者が勝者である」という考えが出場者全員の共通の認識となっており、レース最終日のことを「ビクトリーラン」とも呼んでいた。

 しかし、開催地は政情不安な地域も多く、舞台がパリ~南アフリカや、南米のアルゼンチンやチリ、ペルーなどに移されることもあったが、2020年以降は中東・サウジアラビアが開催地に選ばれている。

 したがって、現在のダカールラリーは、「パリ」も「ダカール」も直接関係のない地域になって久しいが、ティエリー・サビーヌの冒険ラリーの精神を尊び、いまでも⼤会名には「ダカール」の名が引き継がれている(現在のダカールラリーは、2週間、8000km以上の設定)。

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