この記事をまとめると
■トレバー・ウィルキンソンによって1947年に創業された「TVR」
■幾度となく経営権が譲渡されたあと、2017年に新型グリフィスを発売することを発表
■新型グリフィスは初期ロット500台分をあっという間に売りきるが、いまだ納車はなされていない
数多の危機を乗り越えて3代目グリフィスを発表
2014年にTVRは新たな経営層によって、3代目となるグリフィスを生産する計画が発表されました。TVRもグリフィスも、若手のクルマ好きに馴染みは薄いでしょうが、昭和のベテランにとってはなんとも耳に温かいものに違いありません。
もっとも、前述の発表後に聞こえてくるニュースは必ずしもいいものばかりでなく、3代目がバリバリ公道を走る日は皆目見当がつかない状態です。そんな懸念はひとまず置いておき、来るべき3代目を迎えるためにTVRグリフィスをおさらいしてみましょう。
TVRは数多いイギリスのバックヤードビルダーとして1947年にスタートしています。当初の代表、トレバー・ウィルキンソンはぶっちゃけて言えば機械工場の修理工レベルだったかもしれません。鋼管をつぎはぎして簡単なフレームを作り、当時の人気エンジンだったコヴェントリー・クライマックスを載せた1号車は、試運転の際にブレーキが故障して木にぶつけて止めたっていうエピソードを聞けば、なんとなく伝わるかと。
それでも、最初の市販モデル「グランチュラ」はチューブラフレームにビートルのトーションバーを流用した足まわり、そして手ごろな4気筒エンジン(マークIIIに至ってBMC製1.8リッターを搭載)を積んだバックヤードビルダーらしいモデルとなりました。
このグランチュラがそこそこ売れて北米での販売も決まると、TVRは当時大人気だったACコブラの二番煎じを狙いました。そこで、グランチュラの質素なシャシーにフォード製4.7リッターのV8を詰め込んだ「グリフィス200」を発売。ちなみに、車名は当時の北米ディーラーだったグリフィス・レーシングをそのまんま流用。わかりやすくて、売りやすかったのでしょう。
ご想像のとおり、ちゃちなシャシーにV8はオーバースペックもいいところで、プロレーサーでさえそのトリッキーな走りには手を焼いたといわれています。なんとか足まわりのモディファイを施し、グリフィス400としてテコ入れするものの、やっぱり運動性能は「危険」レベルだったようで、1965年にあっさり生産終了。
2代目グリフィスは、トレバー・ウィルキンソンからピーター・ウィラーに代表が代わるまで待たねばなりませんでした。ちなみに、同社はトレバー・ウィルキンソンから数えると現在のオーナーで5代目。売れ行き不振や労働問題など、さまざまな問題を乗り越えてきたことがわかるかと。
さて、初代と違って2代目は純粋なイギリス製となるローバーの4リッターV8エンジンを搭載して1992年に登場しました。もっとも、鋼管フレームに強力なエンジンと、比較的軽量なFRPボディを載せるという手法は、それまでのTVRとほとんど同じでした。
が、のちにゲイということを暴露されたウィラー独特の美学が隅々まで徹底されたおかげで、キットカーに毛が生えた程度、というレベルからは大いに飛躍。隠しドアオープナーや、巧妙なコンバーチブル機構、あるいはどんなスポーツカーにも似ていないのに、コクピットは「これぞスポーツカー」と呼べるインテリアだったり、それはもう良く出来たマシンへと生まれ変わったのです。
後に、5リッターエンジンに換装されると、軽量ボディに強力なエンジンというTVRのコンセプトをまっとうし、以後のタスカン、キミーラといった傑作の礎となったことご承知のとおりです。