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熱い情熱で「大企業」すら動かした「名開発者」4人と誕生した奇跡のようなクルマ (1/2ページ)

熱い情熱で「大企業」すら動かした「名開発者」4人と誕生した奇跡のようなクルマ

この記事をまとめると

■開発担当者の熱意によって生まれたクルマがあった

■クルマ好きの開発者によって市販化されたモデルを4台紹介

■開発担当者自身がサーキットでも走るような走り好きであったケースもある

クルマ好きが作り上げた名車たち

 地球環境を守るため、カーボンニュートラルに向けて邁進するしか道がない自動車業界。そんななかでは、内燃機関の「スポーツカー」という存在そのものが「悪」とされてしまいそうなピンチでもあります。それでも、スポーツカーを根絶させてはいけない、走る楽しさを諦めたくないという、熱いハートを持った開発者がいたおかげで、この世に誕生することになったクルマがあります。

 まず1台めは、2021年8月に米国で最新モデルが発表された歴史あるスポーツカー、日産フェアレディZ。初代のS30型が誕生したのは1969年で、全世界で52万台以上を販売し、多くの熱烈なファンを生み出しました。

 しかし、4代目となるZ32型が2000年で生産中止に。当時はカルロス・ゴーン氏指揮のもと推進された「ニッサン・リバイバルプラン」の目玉のひとつとして、フェアレディZの復活プロジェクトが立ち上がり、元開発責任者の湯川伸次郎氏の熱意によって、Z33が異例のスピードで誕生するに至りました。ところが市場全体でスポーツカーの販売台数が減っていき、再びZは消滅の危機に陥るのです。

 それを救った立役者が、GT-RやZの総括責任者(当時)を務めてきた田村宏志氏。運命のスタートとなったのは2017年3月1日で、この日、田村氏はメモに手書きで「Zを考える」と記し、会社に対してZの必要性を説いたのだそう。その際、MT車はいらないのではないかという意見も出たところ、田村氏は「絶対にMTはやめない」と直訴。当時のMT車とAT車の比率が40:60だから、と熱弁を振るったそうですが、じつはその比率はNISMO仕様に限ったデータで、全体ではそこまでMT比率が高くなかったのだとか。

 それでも、田村氏としては極端なことを言えば、MT車を望む最後のひとりがいなくなるまでは、つくりたいという思いだったのかもしれません。その気持ちこそが、日産ファン、Zファンを大切にするということであり、フェアレディZという偉大なスポーツカーを次世代につないでいくということなのでしょう。

 2台目は、マツダが世界に誇るライトウェイト・オープンスポーツカーのロードスター。その現行モデルであるND型を初代のNA型同様に「軽く」することにこだわり、見事成功させたのが元開発主査の山本修弘氏です。先代のNC型は、時代に合わせた衝突安全性能などを満たすため、初代よりボディサイズも排気量も大きく、約150kgも重くなっていました。

 それをもう一度、NA型のオーナーに振り向いてもらえるクルマにしたい、という強い想いで開発に着手したという山本氏。安全性や環境性能を犠牲にすることは許されないなか、軽さにこだわるのは並大抵の決意ではできないことです。

 さらに、ロードスターに脈々と受け継がれる哲学として、FR、オープン、50:50の重量配分、慣性モーメントの小ささ、手に入れやすい価格の5つを死守。軽量化には、まずボディサイズを抑え、エンジンを小型化し、アルミ材料を増やしつつ、部品ひとつひとつの無駄を1g単位で削ぎ落としていったことで、先代より100kg以上減を実現。

 ただ、もっとも苦労したのはデザインで、デザイナーとしては「もう一生、変えなくてもいいと思えるデザイン」が完成したのですが、金型やプレス、組み立ての現場でそれを作れるかどうかは、また別の話。じつをいうと、アルミでは到底できないようなデザインだったそうですが、それぞれの現場がプロの意地をかけて革新してくれたおかげで、NDロードスターが完成したのです。

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