F1命のフェラーリの「泥系」ラリーマシン! 288GTO誕生の影にあった308GTBとは (2/2ページ)

308ラリーでの知見は288GTOの製作にフィードバックされた!?

 次いで、308はグループBのホモロゲを取得。ただし、黎明期のレギュレーションなので、カスタム内容はグループ4とさして変わるものではありませんでした。4台が製作され、うち3台がクワトロバルボーレ、すなわち4バルブDOHCエンジンが搭載され、残りはグループ4で使った2バルブエンジンが選ばれています。

 4バルブエンジンは400馬力までチューンアップされたものの、ミケロットによれば信頼性を確保したかったとのことで、実際の最高出力は310馬力とファインチューンにとどまりました。

 一方で、サスペンションは大幅なカスタムが施され、グループ4よりも大きく太いタイヤ&ホイールが装着され、ターマックでの速さ、コントロール性能がより高まりました。

 また、グループBといえば、魔改造なみのボディワークがお馴染みですが、1982/83年のルールはそこまで至っておらず、しかもホモロゲはスチールボディに与えられていたために、グループ4マシンと同様のオーバーフェンダーくらいしかアイキャッチはありません。なお、1984年のモンツァラリーでは、リヤウイングを装着して、名手ワルデガルドが3位に食い込む好成績を残しています。

 また、ミケロットはどんどん変更され、過激になっていくグループBのレギュレーションに応えるべく、308GTMというレーシングカーも3台だけ製作しました。車名のMはミケロットの頭文字ですが、残念ながらマラネロ本体がグループBに本腰を入れ始めてしまったために、さほど活躍の場は与えられなく姿を消しています。

 もっとも、V8エンジンを縦置きにして前後オーバーハングを切り詰めたスタイルや、カーボンボディの採用による640kgという驚異的な車重など、後のグループBマシン288GTOに多大なる影響を与えたことは言うまでもないでしょう。

 仮にグループBラリーが本格化していれば、308ラリーの子孫だった288GTOが活躍していたことは確かであって、いまよりもずっとラリーシーンでフェラーリの姿を見られたことでしょう。

 それを、エンツォが草葉の陰で見ていたとしたら、はたしてどんな顔をしていたのか、想像するだけでニヤニヤしてしまいます。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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