ディーゼル規制がデコトラ乗りの目をオートサロンに向けさせた
同時期(1999年)に、トラックの世界でも大きな事態が起きている。それは、東京都によるディーゼル排出ガス規制だ。このとき、デコトラは第2次ブームの余韻で全国にクラブが増え、同好の士がさまざまな改造を競い合っていた。ところが、この規制で古いトラックの買い替えが進み、デコトラ愛好家は長年の作品である愛車を手放さざるを得なくなったのである。
そこで生まれた苦肉の策が、仕事車(仕事に使用する合法改造車)とイベント車(従来のデコトラ=趣味の車両)の住み分けである。
仕事車は合法的な改造が中心となるため、これまでのデコトラとは少し勝手が違う。そこで、新たな情報ソースを進化した東京オートサロンに求めるデコトラ愛好家が増え始めたのだ。「合法」「ドレスアップ」は、仕事車が求める改造コンセプトと一致している。もともとデコトラの改造は、性能的なチューンナップよりも見た目を重視する傾向にある。相性も良かったということであろう。
当時のオートサロンは会場を幕張メッセに移し、展示スペースがほぼ現在の規模に拡大をしていた(当初は晴海開催だったが、1997年には有明に、1999年から幕張で開催)。もちろん、チューンナップパーツも多数展示されていたが、カーペイント/ラッピング/コーティング施行などといった、ドレスアップにこだわるブースも目立っていた。また、機能性向上パーツとしてディスチャージランプ/付加機能タイプワイパー/補助ミラーなど、のちに新車から標準化されるような画期的なグッズが現れたのもこの頃だ。
このようにして、トレンドと多くの改造のヒントを提供してくれるオートサロンは、クルマ好きだけではなくデコトラ愛好家にも、支持されるようになってきたのである。