20世紀の知見が通用しない時代となっている
自動車メーカーの経営者も技術者も、「EVは、世界の自動車メーカーで赤字なんです」と異口同音にため息をつく。事実そうなのだろう。
しかし、将来の飛躍を目指す新興企業にとって、目先の赤字は未来への投資と考えることができる。一方、100年という歴史を積み上げ、血の滲む思いをして収益を上げてきた企業は、それを単なる損失でしかないと考える。この差が、いまの日本を投影している。
したがって赤字を縮小することしか考えず、効率を高め、収益を維持しようとしたところで無理が出た。
すでに21世紀も20年以上が過ぎ、もはや20世紀に経験した知見は振り出しに戻す時期に来ている。新興企業も歴史ある大企業も、ゼロからの同時スタートを切っているのがEV開発である。赤字でいいとは言わない。だが、それを黒字に持っていく戦略が不可欠であり、将来性のある戦略を組み立てるには、科学と技術の原理に基づいた本質論と、21世紀の社会で何が求められるかという、暮らしに目を向けた俯瞰した目だ。そのいずれもが、日本に欠けている。
身近な例でいえば、なぜ、いまだに軽自動車にテレスコピックを標準装備できないのか? それは、運転姿勢を整える安全の基本だ。
各自動車メーカーから言い訳は聞こえてくる。しかし、それらは、いずれも効率よく儲けようとする場当たり的な意見でしかない。ここを起点に、いまのメーカーの不祥事が象徴的に表れている。
21世紀にどのようなクルマを生み、どのような交通社会を築きたいのか? そこが、秋のジャパン・モビリティ・ショーで問われていたことなのではないだろうか。