メルセデスのマイバッハのようにアウディにはホルヒがある! 中国でグレート名でひっそり復活していた「ホルヒ」ってそもそも何? (2/2ページ)

「ホルヒ」の名に恥じる残念なコスメティックチューン

 さて、アウグストが去ったあともホルヒは高性能路線をまっしぐら。直列8気筒エンジンの「853」や、V12の「670」などを立て続けにリリースして、欧州の高級車市場を席巻しました。たとえば1931年の「670」はV12エンジンを搭載しながら廉価な設定で、マイバッハ・ツェッペリン、グロッサー・メルセデスといったライバルたちに水をあけたとされています。

 その後、世界大恐慌のあおりをうけてホルヒ、DKW、ヴァンダラー、そしてアウディの4社が合併して「アウトウニオン」となったのは皆さまご承知のとおりです。それにしても、自分が作ったホルヒを追い出されたアウグストが、再びホルヒと同盟を組まざるを得なくなった気持ちを考えるとじつに複雑です。

 およそ50年後の1985年にアウトウニオンが「発音しやすい」という理由からアウディに名変されたものの、すでにアウグストはこの世を去っていた(1951年没)というなんとも言い難い幕引きとなっています。

 ところで、中国版A8Lホルヒは、ノーマルA8Lよりホイールベースが130mm延長されたいわゆるリムジーネで、トップレンジを担うにふさわしいモデルかと。

 とはいえ、ホルヒを表徴するのはいくつかのバッジと、ホイールセンターのエンブレム、拡張されたインテリアのアップグレードくらいのもの。往時のホルヒを知る者はほとんど鬼籍に入っているとはいえ、マイバッハが専用ボディや最上級エンジンを搭載したことなどを考えると「手抜き」呼ばわりされても致し方ありません。

 一見、アウディが中国市場のためにエクスクルーシブなモデルとして作ったと見えるかもしれませんが、コスメティックだけというのは、彼らが中国をどんな目で見ているか透けてみえる気がします。

 仮に本来の「高性能」を旗印にしたホルヒが復活したとしても、中国版にガッカリした人々を呼びもどすのは決して簡単なことではないでしょう。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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