業界のご意見番「清水和夫」が「ダイハツ問題」を斬る! 不正の根幹はトヨタからのプレッシャーではない【短期連載その2】 (2/2ページ)

自立した企業にさせたかったトヨタと認められたかったダイハツ

■トヨタは2000年代に急成長した

 2000年代のトヨタは破竹の勢いで成長していた。奥田体制ではグローバル化を推し進め、「グローバルマスタープラン」を打ち立て渡辺社長体制まで続いた。世界中に工場を作り、販売台数を伸ばしていたが、2008年に起きた金融危機でトヨタは赤字に転落し、事業を見直すことになった。あくまで想像の域をでないが、当時のトヨタは系列に対して厳しいプレッシャーを与えていたのかもしれない。

 2010年に豊田章男氏がトヨタの社長に就くと、前体制で続いていたマスタープランは見直され、クルマ好きの豊田社長らしく、ユーザーに愛されるクルマを作ると名言していた。豊田社長はダイハツに対して、トヨタに頼らない自立した企業になるようにと考え、ダイハツの代表取締役会長から2011年に技監になった元トヨタの生産技術担当副社長の白水宏典氏によって「ダイハツが軽メーカーとして成長する」ためにトヨタ流儀をブロックしていた。

 その証拠に2010年にトヨタは、独自でインド市場向けのBセグメントのエティオスをデリーショーで発表したが、なぜトヨタはダイハツを使わなかったのかと疑問に思い、直接白水会長に話を聞いたことがあった。

 当時のダイハツはマレーシアやインドネシアの市場を維持するのが精一杯で、とてもトヨタをサポートできる余裕はなかったと述べていたし、また白水会長はトヨタ流を押し付けてはダイハツが潰れると懸念していた。

 トヨタは昔からほかのOEMよりも系列を大切にする企業として知られており、原価低減で利益が増すとサプライヤーにも還元していた。ダイハツが日程や原価で厳しいタスクにさらされたなら「NO」といえばよかったものの、現場が「NO」と言えない風土だったとしたら、そこは経営幹部の責任かもしれない。

 そんな経緯があるので、私はトヨタがプレッシャーを与えていたとは考えていない。むしろダイハツ独自の企業として自立する方針だったのだ。しかし、当時からの現場の声を聞くと、「一流のトヨタに認められたい」という思いが強かったというのも間違ってはないだろう。これをプレッシャーといえばそうなのかもしれない。

 私のダイハツに対する長い取材経験と第三者委員会の報告書から不正の本質を推測してみると、次のようにまとめることができる。

1)現場の担当者や幹部も勉強不足でルールをしっかりと理解できていなかった

2)子会社としての反骨心と親会社への気遣いの狭間にいるダイハツは、ユーザーと向き合う姿勢が軽薄となっていった(「一流のトヨタに認められたい」という気持ちが強すぎた)

3)ルールを勝手に解釈することが慢性化していた

4)「NO」と言えない職場の空気、失敗を許さない体質も原因か

5)幹部が現場(滋賀試験場)に足を運ぶ機会が減っていた

6)プレッシャーがあったとすればスズキとの激しいシェア争いと燃費競争

7)企業内部でブラック化が進んでいたことにダイハツのトップは気付かなかった

 厳しい開発競争はダイハツだけではないので、ほかのメーカーも対岸の火事だと思ってはいけない。

 最後に安全性を気にするユーザーへのメッセージとして、エアバックのセンサーの偽造は安全性に関わる問題なので、該当車はリコールになる思われるが、それ以外の不正該当車は再点検中なので、安全性には大きな問題とならないだろう。正確には政府からの発表を待つことになる。


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