栄光の歴代ルマン優勝車も展示
開発を終え量産に移された356は、356/2型として鋼板ボディ、リヤエンジンに改められ「プレA型」としてグミュントで生産が始まり、記録によると49台が生産された。さらに1950年になると、本拠地を念願のドイツ本国、シュツットガルトに移し、スポーツカーメーカーとして本格的な生産体制を整えた。以後356は、1965年の356C型まで18年間で約8万台が生産され、スポーツカーメーカー、ポルシェの名を不動のものにしている。
なお、ポルシェは「スポーツカーはレースで活躍してこそ価値がある」という信念に基づき、創設間もない時期からレースへの参戦活動を始めているが、シュツットガルトに拠点を移した直後の1951年、356SLでル・マン24時間に初参戦し完走、751〜1100ccでクラス優勝を勝ち取る快挙を演じている。
一方、356のモデルライフが10年を超えた1961年、356の後継車となるスポーカーのプロジェクトが始まった。これがポルシェ・タイプ754T7で、その外観から一見してわかるように、ポルシェ911のプロトタイプであることが見てとれる。手がけたのは、フェルディナント・ポルシェの孫、フェリー・ポルシェの息子となるフェルディナント・アレサンダー・ポルシェ、通称「ブッツィ」だった。
この754T7を経て、1964年に市販されたモデルが、現代まで続く911シリーズである。誰がどう見ても、ポルシェ社の基盤となるモデルであることは間違いなく、ポルシェの伝統となる水平対向6気筒エンジンも、このモデルによってデビューを果たしている。
以後、911シリーズの発展については、その歴史はあまりに長くなるためまた機会を改めることにしたいが、創業75周年を迎えたポルシェのマイルストーンとして、初代911は、ミュージアムの中でもひと際輝く存在として来訪客の注目を浴びていた。
2024年は911の60周年。このポルシェミュージアムで、特別な記念イベントが催されることは想像に難くないが、こんなことを考えながらポルシェもうひとつの柱、レーシングモデルの展示にも注目してみた。
スポーツカーレースでのポルシェの活躍、実績を挙げていくとキリはないが、なんといってもさん然と輝く勲章は、今年で100周年を迎えたル・マン24時間での圧倒的な勝利数、通算19勝を誇ることに尽きるだろう。
917に始まり936、956、962、911GT1、919と続く歴代ル・マンの参戦車両も展示されていたが、今年は2017年以来、6年ぶりにハイパーカーの963でル・マンに復帰。ポルシェは919で2014年にル・マンに復帰した際、参戦した2台のゼッケンを20号車と14号車とする小粋な演出をしていたが、2023年の今回も、3台目の車両を75周年にちなんだゼッケン75で出走させていた。
このハイパーカーの963、車両規定はLMDhでペンスキーとマルチマチック社の共同開発、パワートレインのみがポルシェ供給という公式発表だったが、ミュージアムの最上階の片隅に4分の1サイズの風洞モデルの展示を見つけてしまった。
よく見るとブレーキローターキャリパーも装着された仕様で、車両の空力開発にもバイザッハが関わっていたのではないか、と勘ぐらせる見せ方をしていた。
クルマ好き、スポーツカーレース好きにとっては、1日中見てまわっても飽きない内容、展示物。それがポルシェミュージアムという印象を、また改めて強く持ってしまった。