3兄弟で月販4万台とかもはや怪物! バブルってやっぱスゲーを実感する「マークII・チェイサー・クレスタ」の中身 (2/2ページ)

それぞれに個性が際立つ「マークII 3兄弟」が当時の若者を魅了!

 1984年に勢揃いした「マークII3兄弟」は、デビューから5代目になるマークIIが長男で、デビュー3代目のチェイサーが次男、そしてデビュー2代目のクレスタが末っ子になります。当時のトヨタの戦略としては、この3台をラグジュアリーかつスポーティにして、既存のセダンのイメージ=おっさん臭さを払拭したこと!

 マークIIは4ドアハードトップとセダンとワゴンを揃えましたが、トヨタは4ドアハードトップをイチ押し。トヨタが「クリスタルピラー」と謳ったアクリル製リヤクォーターガーニッシュの黒いCピラーがお洒落さと高級感をアピールし、専用ボディカラーであるスーパーホワイトと超絶にマッチしました。おかげで、マークIIを買う人はほぼボディカラーは「白」を選んでいました(筆者は白いマークIIしか記憶にありません)。

 チェイサーは4ドアハードトップのボディにツライチでスラントしたフロントマスクが特徴的で、その大胆でダイナミックなデザインが大ウケ! ラグジュアリーさを押し出したマークIIと異なり、チェイサーはスポーティさを売りにしたこともあって、アクティブでちょっとヤンチャな若者はこっちを選びがちでしたな。

 一方、末っ子のクレスタは兄たちとは一線を画し、キリッとしたセダンのイメージを保持。ラジエターグリルを豪華にしてイメージを格上げするという、セダンの王道的なエクステリアが自慢で、またリヤウインドウの両端を折り曲げる工夫(後方視界の改善とトヨタは謳っていました)をして、高級パーソナルセダンのムードを高めていました。

 そうそう、そんなスタイルが当時の流行りだったブロンズガラスと似合っていましたっけ。

 マークII 3兄弟はエクステリアだけでなく、インテリアでも当時の若者を魅了しました。インテリアはゴージャスのひと言! まるで応接間のソファのような「ルーズクッション」のデザインのシートが、車内というよりはパーソナルルームのような雰囲気を確立。

 3台すべてに設定されたバーガンディカラーが、当時のアベック(決してカップルではない笑)を“ソノ気”にさせたのでした。また、デジタル表示の「新エレクトロニクス・ディスプレイメーター」がさらに雰囲気を盛り上げたもんです。

 しかも、ステアリングコラムに小さな吹き出し口を設け、そこから温風を出して手を温めるという「クイックハンドウォーマー」が、真冬のドライブで効果抜群! 寒がりの女のコの手をこの装備で温めてあげて、点数アップしたオトコが何人いたことか! そのほか、「左右調節式リヤヘッドレスト」とか「オートエアピュリファイヤー(空気清浄器)」とか、快適装備に抜かりはありませんでした。

 マークII3兄弟は「走り」でも若者にアピール! エンジンはガソリンのほかディーゼルもラインアップしていましたが、トヨタの売りはもちろん直列6気筒のガゾリンエンジンです。当初はNAとターボがありましたが、1985年のマイナーチェンジで日本初の「ツインカム・ツインターボ」を搭載! 排気量2リットルながら、185馬力/24.0kgmのパワー/トルクを実現しました。

 当時、筆者の友達(医者の息子でいけすかないヤツだった)がツインターボのマークIIを買ったもんだから、早速ナビシートに乗っけてもらって青山通りをドライブしたのを覚えてます。友達が一瞬だけアクセルを全開にしたとき、その加速に思わず「おぉぉぉ〜っ!」と絶叫しましたっけ。

 足まわりもバッチリ! 4輪独立サスペンションをベースに電子制御の「新TEMS」を採用し、当時のクルマ専門誌&ジャーナリストが大注目しました。サスをオートモードにオンしておけば、自動でアンチスクォート、アンチシフトスクォート、アンチダイブ、アンチロールを制御してくれるんですが、当時の若者は単に「スゲぇ」と感心するだけで、その高性能さを真剣には実感していなかったと思います。だって、ドライブデートの雰囲気が盛りあがればいいだけだったんですから。

 ……ってな具合に、1980〜90年代の日本をトヨタのミディアムセダンが盛り上げたのでした。「マークIIグランデ」「チェイサーアバンテ」「クレスタスーパールーセント」という上級仕様のグレード名があって、当時の若者はわざわざそのフルネームにこだわっていたのです。

 そんなクルマが華やかでドライブが楽しい時代があったのです。再びそんな時代=事象が戻ってくれば良いなぁ……と、当時を生きたおじさん(筆者含む)は切に切に願うのです。


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