この記事をまとめると
■ひと昔前のレーシングドライバーには飛ばし屋が多くいた
■目的地まで誰が一番速く着くか、何分で走り抜けられるかを競ってる人たちもいた
■最近はコンプライアンスの問題もあり、ワークス系のドライバーは大人しい傾向にある
伝説のレーサーたちは公道でも速かった!?
「何人たりとも俺の前は走らせねぇ!」
漫画「F-エフ-」の主人公、赤城軍馬のセリフだが、レーシングドライバーの本質はこれ。速いクルマが好き。そして速い自分が大好きで、彼らはクルマに乗ったら速く走らせることが礼儀だと思っている節がある。
したがって、レーシングドライバーは潜在的には誰もが飛ばし屋であることは間違いない。
とくに社会がおおらかで寛容性に溢れていた時代のドライバーは、飛ばし屋であることを隠そうともしなかった人が多い。
たとえば2022年に亡くなったレーシングレジェンド=髙橋国光さんは、1964年に日産ワークスに加入した頃、日産から貸与されたフェアレディ1600で、ワークスの本拠地である追浜から自宅の東京の小金井まで、チームメイトの北野 元さんと公道を競争しながら帰るのが日課だったといわれている。
ほかのドライバーでも、第二東名や伊勢湾岸道がない時代に、東京から鈴鹿サーキットまで3時間を切ったという猛者もいたし、東北のサーキットであるSUGOでのレースに向かう際、雨の東北道をとんでもないスピードで走り、ハイドロプレーニングを起こしてクラッシュしたなどというドライバーもいた。
1990年代前半にレーシングドライバーの運転手をしていた人も、法定速度+αで走っていると「遅い!」と文句を言われたとコメントしているし、一般道で警察にスピード違反で捕まった某ドライバーは、警察官に対し「その辺でヨタヨタ40km/hぐらいで走っている高齢者ドライバーと、オレが80km/hで走っているのとではどっちが安全だと思っているんだ」と噛みついたことも!?
また、当時F3000ドライバーだったA氏が、レースウィーク中にFSWに向かっているとき、東富士五湖道で速度違反に捕まり、「オマエ、何キロで走っているんだ。自分がF3000のレーシングドライバーとでも思っているのか? 彼らはとんでもない技量を持っているんだから、オマエみたいなシロートが、レーサー気取りで飛ばすんじゃない」と警察官から説教されたという笑い話もある。
まぁ、ほかにも1980年代、1990年代に活躍したようなレーシングドライバーに話を聞けば、それぞれ飛ばし屋武勇伝を語ってくれると思うが(多少盛っている可能性もある)、最近のトップドライバーは、メーカーの看板を背負っているので、品行方正の人物がほとんど。幼少からカートレース参戦し、ハイスピードで走るのはサーキットだけで十分という環境で育った人も多いだろう。
というわけで、昔のレーシングドライバーの大半は、飛ばし屋だったと考えていいはずだ。