日本の地名を名乗ったクルマもあった
3台目は、1984年に登場した日産パルサー ミラノX1。こちらは日産として初めてのFFモデルとなったチェリーの系統を継ぐコンパクトカーとして、1978年に登場したパルサーに追加された3ドアハッチバックのグレード名でした。なぜミラノ? と思うかもしれませんが、じつは1983年に日産とアルファロメオがARNAという合弁会社を設立し、その記念としてアルファロメオの創設地であるミラノの名前が加わったというわけです。
ちなみにX1というのはチェリーの開発コードネームで、高性能グレードを意味していたものとのこと。ミラノX1はパルサーのなかでも上級グレードに与えられていました。
さて4台目からは、日本の地名がついたクルマたち。まずはミツビシが北米向けに生産していたギャラン ラムダを、クライスラーがプリマスブランドを通じて販売する際に命名したという、プリマス・サッポロです。
※写真は日本仕様の三菱ギャラン・ラムダ
1978年に登場したモデルですが、なぜサッポロかというと、1972年に冬季オリンピックが開催されたのが北海道の札幌だったからなんですね。オリンピック史上、初めてアジアで開催された大会であり、32年前の1940年に一度開催が決定していたのに、日中戦争の影響によって開催権を返上して幻の冬季オリンピックになってしまったところから、ようやく実現した大会でもありました。それが大成功したことで、「サッポロ」という響きが世界的に良いイメージで浸透したということなのでしょう。
どこかダイナミックでタフなスタイリングに、角型デュアルヘッドライトがスポーティな2ドアクーペのプリマス・サッポロは、2.6リッター直4エンジンを搭載。新世代の洗練されたスペシャリティカーとして、1983年まで販売されていました。
5台目は、土地の名前でもあり、時代名でもあるのですが、いすゞアスカというクルマがありました。1983年に、GM社がワールドカーの「J-Car」の一環として開発したセダンで、世界初の車速感応・操舵力3段切替式パワーステアリングを採用。車速や路面状況などに応じて、好みの操舵力を選ぶことができる、画期的なシステムとなっていたほか、車高自動調整システムも採用されていて、常に安定した姿勢を保ちながら快適に走行できるようになっていました。
このアスカをベースとしたアスカ2000ターボはWRCにも参戦し、グループAクラス優勝を成し遂げており、いすゞが販売した最後のセダンでもあります。
ただ、よくよく名前の由来を調べてみると、どうやら地名ではなく、「飛鳥時代」から選定したもよう。日本文化が初めて花開き、外国から伝来した文化をもとに日本人の情感と巧みさを加えて完成した時代であることから、ますます国際化するクルマのありかたを考えて「アスカ」としたとのこと。とはいえ、奈良県には明日香(飛鳥)という地名があるため、仲間に入れさせていただきました。
また、同じく地名のような地名ではないような、というところではダットサン1000セダン 富士号という1950年代のラリー車もあります。日本の地名がつけられた国産車というのは、意外にも少ないですね。
というわけで、地名が入った車名を持つ国産車をご紹介しました。