この記事をまとめると
■いすゞにはかつて「ロータス」の名前を冠したモデルが存在していた
■GMに所属する密な関係性から、共同で開発するシーンが多かった
■いすゞはイルムシャーというジャーマンスポーツテイストなモデルも有していた
いすゞの「ロータス」は名ばかりではない本格派だった
ロータスは不思議なブランドだ。パワーユニットを自分で開発することは少なく、トヨタなどから拝借する一方で、他社のクルマの開発に多く関わっている。
ほとんどの場合、デロリアンDMC12のように表に名前は出ないのだが、一方で1960年代のイギリスフォードのセダンボディを用いたロータス・コーティナのように、自分たちの車種として送り出してしまったものもある。
そして日本車にも、ロータスの名前を冠したモデルがあった。いすゞのジェミニとピアッツァ、ビッグホーンの「ハンドリング by ロータス」だ。ビッグホーンの初代だけは「スペシャルエディション by ロータス」だったと記憶しているけれど、ロータスを名乗った日本車だったことは変わらない。
いすゞとロータスの関係が生まれたのは、ゼネラルモーターズ(GM)が1980年代にロータスを傘下に収めたから。いすゞはその前からGMグループに属しており、家族のような関係になった。
そのなかで、前輪駆動となって復活するエランが、いすゞのパワートレインを採用することになるとともに、いすゞはシャシーの開発をロータスに依頼することにしたのだ。つまり”なんちゃって”ではなく、ちゃんとロータスの手が入っている。
第一弾になったジェミニのハンドリング by ロータスでは、当時のカーグラフィックの記事によると、ロータスは14種類のスプリング/スタビライザーの組み合わせ、コンパウンドや構造が微妙に異なる20のタイヤ、120種類のダンパーセッティングをテスト。走行距離は8万kmに及び、ニュルブルクリンクでも極秘走行をしていたという。
すでにいすゞは、やはりGMグループのオペルのチューニングをしていたイルムシャーも仕様に加えていたので、ひとつの車種で英国風とドイツ風が選べるという貴重な存在でもあったのだ。
当時、僕は旧いクルマを主に扱う専門誌の編集部にいて、新車のハンドリング by ロータスを試乗する一方、昔のエランやヨーロッパの取材もした。
さすがに当時の印象ははっきりとは覚えていないけれど、ジャーマンスポーツそのものだったイルムシャーに比べると、ハンドリング by ロータスは身のこなしがしっとりしなやかで、ロータスらしさを感じたものだった。
いすゞはジウジアーロ・デザインの117クーペや、GMのワールドカー構想から生まれたジェミニもそうだけれど、欧米のデザインやエンジニアリングを取り込みつつ、独自のブランドイメージを出すのがうまかった。
海外ブランドを自慢したりせず、さらっと着こなしている人のような感じで、センスの良さが光っていたといまにして思う。