キャッチフレーズは「全身センス」!
しかも、そのキャッチフレーズがすごい。なにしろ「全身センス」「絶世のセダンです」ときたもんだ。CMにはモデル、歌手、タレントの桐島カレンさんを「見返り美人」として起用。
「全身センス」を表している理由の第一は、デザイナーが日産自動車時代の初代セフィーロ、1998年にアウディに移籍し、アウディA6、A5、Q7などのエクステリアデザインを手がけた和田 智さんであり(現在は独立)、その手腕によって個性溢れる4ドアハードトップをデザインできたからにほかならない。
しかも、エンブレムが宝石をモチーフにしたものであるだけでなく、グレード名も宝石にちなんだCt.(カラット)としていた。
スタイリッシュなエクステリアデザインもさることながら、インテリアもさすが「全身センス(!?)」で、メイングレードのCt.IIグレードでは7パターンのインテリアの仕様が選べる凝りようで、オシャレ度極まるオフホワイトの本革&クロスシートまであったほど。
とはいえ、カリーナEDがそうであったように、こうしたクルマの走行性能は平凡。プレセアはサニーと共通の1.5リッター、ブルーバードからの1.8リッター、2リッターエンジンに4速ATと5速MTを組み合わせた展開で、走りの面では流麗なスタイリングのようなインパクトは皆無。
しかし、当時はそれでも「全身センス」「絶世のセダンです」のキャッチフレーズとスタイリッシュさに誘われ、とくに女性ユーザーに人気を得たというわけだ。
ただ、実際に身長172cmの筆者も、当時のカリーナED(所有車)やプレセアに乗り、後席にも座ってみたのだが、やはりトヨタ86並みの低全高ゆえ、乗降性(頭を大きく下げなければならない)や居住性(主に天井方向の窮屈感)は決して褒められるものではなかった。それでも問題なし……と、一部の人が飛びついたあたりは、なるほどバブルのなせる魔法だったのかも知れない。
しかし、バブルが終焉した1990年代後半になると、シャンパンの泡が消えるように、そして夢が醒めたように、国産4ドアハードトップの人気はガタ落ち。1995年にプレセアはR11型の2代目となるのだが、和田 智さんのデザインではなくなり、「全身センス」とは言えない、ごくフツーの4ドアハードトップとなってしまったのだ。それもあって、バブル後に冷静になってみれば、低全高の4ドアハードトップの乗降性や居住性の悪さが改めて認識されることとなり、避けられ始めたというわけだ。
つまり、「全身センス」「絶世のセダンです」のプレセアは、1990~95年に生産、販売された、和田 智さんがデザインを手がけた初代だけの話、ということになる。