トヨタの意地が日本の自動車メーカーを鍛えた!
この後も同じパターンが続いた。ホンダがワゴン風ミニバンのストリームを2000年に投入すると、トヨタはサイズがほぼ等しいウィッシュを発売した。しかもストリームの主力グレードは、1.7リッターのLで価格は169万8000円だったから、ウィッシュの主力は排気量が若干大きな1.8リッターのXで、価格は1万円安い168万8000円とした。これも販売合戦でウィッシュが勝った。
コンパクトミニバンでは、ホンダがモビリオを開発すると、トヨタはシエンタで対抗した。モビリオはフィットと同じプラットフォームで燃料タンクを前席の下に搭載して3列目の床を低く抑えたから、シエンタは薄型燃料タンクで同様の効果を得ている。
その後、モビリオの後継となるフリードはこのセンタータンク方式をやめたが、シエンタはいまでも薄型燃料タンクを継続採用してセールスポイントとしている。
一連のトヨタの他社に対する執拗な開発攻勢は、当時は見ていて嫌になったが、いまは懐かしい。なぜなら当時はトヨタが徹底的にライバル車を叩くことで、それを開発するメーカーが鍛えられたからだ。
たとえば3代目オデッセイの報道試乗会で、開発者が「ここまでの低床設計は、さすがのトヨタでも無理だろう」と胸を張った。これは怖い頑固親父に鍛えられた子どもたちが、「やっと親父に勝てた!」と喜ぶのと同じ構図であった。
ところが2008年のリーマンショックで流れが変わった。2010年に発売された3代目ヴィッツは、2代目に比べて質感と静粛性を大幅に悪化させたからだ。それまでのトヨタでは考えられない大失態で、ネッツ店のセールスマンは「これでは2代目のお客様に新型ヴィッツへの乗り替えを提案できない」と頭を抱えた。
もはや開発者から「あのクルマには負けている」という悔しそうな言葉も聞かれなくなった。
2010年以降は軽自動車の国内販売比率が40%に近付き、各メーカーとも普通車は海外市場を重視して開発するのが当たり前になった。国内の緊張感が薄れて「日本はオマケの市場」になり、凋落の時代が始まった。
トヨタが変わると、日本全体の自動車事情が影響を受けるのだ。