他メーカーから続々と後追い車が登場
スズライトの登場に刺激を受け、1958年5月にスバル360が、1960年4月に東洋工業のマツダR360クーペ、1962年2月にはマツダ・キャロル、また、1961年に三菱360、1962年に三菱ミニカ、そして、1966年10月にダイハツ・フェローというように、軽自動車が相次いで発売されることになる。
スズライトはほぼ手作りであった。収益を改善するため、乗用を兼ねたライトバンに的を絞ることで量産化を進め、そして発売されたのがスズライト・フロンテである。このフロンテが、1963年5月の第1回日本グランプリに出場し、軽自動車クラスで、1位、2位、4位、8位と大活躍する。ちなみに、3位はスバル360だった。フロンテの車名は、開拓精神という意味のフロンティアと、フロントエンジン/フロントドライブに由来している。
スズライトのあと、1963年に東京・晴海で開催された第10回全日本自動車ショーにスズキ・フロンテ800が出展され、軽自動車から小型車への足がかりをスズキは示し、フロンテ800は1965年8月に売り出された。
スズライト以降、スズキは2ストロークエンジンにこだわり、昭和53年度の排出ガス規制も、再燃焼方式と触媒を使って達成し、フロンテクーペやジムニーのような特徴ある新車を生み出した。また、乗用を兼ねたライトバンという発想は、47万円という衝撃的価格で1979年に発売になったボンネットバンのアルトに継承されたといえるのではないか。