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100年前にバカッ速モデルでブイブイ言わせてた「ドラージュ」が復活! お値段3億円超えの「D12」ってナニモノ? (1/2ページ)

100年前にバカッ速モデルでブイブイ言わせてた「ドラージュ」が復活! お値段3億円超えの「D12」ってナニモノ?

この記事をまとめると

1920年代に黄金期を迎えていたフランスのレーシングカーメーカー「ドラージュ」

■一時自動車生産からは離れていたが、2019年11月に「D12」で復活

■「D12」は、F1マシンを進化させたようなスタイリングで最高出力1100馬力のハイパーカー

1900年代の初頭に数々の栄光の記録を残した「ドラージュ」

 1905年にルイ・ドラージュによって、パリ近郊のルヴァロワ・ペレの地に設立されたラグジュアリー&レーシングカーメーカーのドラージュ。その最初のモデルとなった「モデルA」は1906年にはすでに完成し、11月に開催されたレースでは早くも2位の座を獲得。その後もレースでの好成績を追い風に、ドラージュの販売台数は1908年には300台を超えるまでに達したのである。

 売上の増加はドラージュに大きな自信を与え、1910年には工場をクールブヴォアの新施設に移転。このころには搭載エンジンもそれまでの直列2気筒から、直列4気筒や直列6気筒へと拡大され、年間生産台数も1000台を超えた。

 そして、自動車の生産を一時停止し、軍需品の生産を行っていた第一次世界大戦が終結すると、ドラージュは大型のラグジュアリーカーの生産に着手。4.5リッターの直列6気筒エンジンを搭載する「CO」をまず発表すると、続いて3リッターの直列4気筒を搭載した「DO」をラインアップに加える。COはフロントブレーキを持った世界初の乗用車である。

 1920年代は、ドラージュにとってはまさに最初に訪れた黄金時代であったといってもよい。その技術的な進化は著しく、1923年には排気量が1万688ccというV型12気筒エンジンを搭載し、最高速で230.52km/hを記録したヒルクライムカーまでが製作されるに至っている。

 また、1927年には、15 S8で世界グランプリのチャンピオンを獲得。

 しかしながらドラージュの経営は、1930年代に入ると1929年の経済危機の影響を受けて大きく揺らいでしまうことになる。それでも創業者のルイ・ドラージュは、新たな活動資金の融資を求め交渉を重ね、ドラージュの存続に成功。第二次世界大戦後、1946年のパリサロンでは、大型プロトタイプのD-180リムジンを発表するまでに至った。

 だが、このプロジェクトには確たる将来性はなく、その後も細々と高級車の生産を続けるものの、1954年にドラージュは、当時提携していたドライエとともにホッチキスへと吸収され、その歴史に幕を閉じたのである。

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