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やっぱりホンダは「Sシリーズ」がなきゃダメだろ! 「Sの血統」を振り返ったらすべてが胸熱だった (2/2ページ)

やっぱりホンダは「Sシリーズ」がなきゃダメだろ! 「Sの血統」を振り返ったらすべてが胸熱だった

この記事をまとめると

ホンダは「タイプR」を筆頭としたスポーツカーのイメージが強いメーカーだ

■1962年のS360登場以来、ホンダは「S」とつくスポーツモデルを展開し続けている

■最近でも、S2000やS660といったモデルを販売し、血統を守り続けている

ホンダのSシリーズは名スポーツカーだらけだ

 日本の自動車メーカーのなかでも、スポーツカーのイメージが強いホンダ。その象徴といえるのが「タイプR」シリーズだ。2022年9月に発売されたFL5型シビックタイプRは、あまりにも人気が集中したため発売当初にオーダーした人でも納車まで約1年待ち。2023年1月からは、新車ラインアップに姿は掲載されているものの、新規受注を一時停止している状況が続いている。

 そんなタイプRシリーズの特徴は、独立した車種ではなくベース車両に対して徹底的に手を入れて運動性能を磨き上げたバリエーションモデルであることだ。タイプRシリーズのルーツを辿っていくと、1992年に登場したNSX-Rに行き着くけれど、初代NSX-Rから現行のシビックタイプRに至るまで、「ベース車両があってのタイプR」というスタンスは統一されている。

 一方、車種としてスポーツカーを貫く存在がSシリーズだ。近年でいうとS2000やS660といった車種を思い浮かべる人は多いだろうが、その歴史はタイプRに比べてはるかに長い。というわけで”Honda SPORTS”の歴史、ホンダSシリーズを振り返ってみる。

 1948年に創業したホンダ(本田技研工業)は、当初はオートバイが主力商品だった。モータースポーツへの参戦もマン島TTや世界選手権ロードレースなど二輪での挑戦を行っていたが、やがて国内モータースポーツ全体の発展を掲げて1962年に鈴鹿サーキットを開業、そして次なる目標として四輪モータースポーツの最高峰であるF1参戦を掲げ、ほぼ同時期にF1用エンジンの開発がスタートする。

 その後、オートバイメーカーからどんどんと事業を拡大させるホンダは、モータースポーツと並行して四輪市販車両の開発も手がけていく。1962年の「第9回全日本自動車ショー」において、Honda SPORTS 360、略してS360を発表する。このとき同時に発表されたのが、ホンダ初の四輪市販車であるT360であり、両車は同じエンジンを搭載する関係にある。

 企業としても破竹の勢いを感じさせるタイミングで発表されたS360は、360ccのDOHCエンジンをフロントに搭載し、後輪を駆動する2シーターのオープンスポーツだった。前述の「第9回全日本自動車ショー」では、鮮やかなレッドのボディカラーを身に纏って登場、兄弟車でより大きなエンジンを搭載したS500とともに展示された。

 しかしながら、S360は実際に市販されることはなく、1963年10月にホンダ初の普通乗用車として発売されたのがS500である。全長3300×全幅1430×全高1200mmという現代の軽自動車より小さな車体に531ccのエンジンを搭載。アルミ製ブロックにDOHCヘッドを組み合わせ、1リッター当たり約83馬力となる最高出力44馬力/8000rpmを発生していた。当時は自動車メーカーが積極的に運動性能をアピールしている時代でもあり、S500の最高速は130km/h以上、燃費も20km/Lと発表された。

 そんなS500の登場からわずか半年後、1964年3月にはS600が発売される。車名のとおり、S500の531ccから606ccへと排気量アップがなされたのをはじめ、基本的にS500の正常進化版だ。外観ではフロントグリルやバンパーのデザインが変更され、S500の直線タイプから中央部が一段窪んだような形状に変更されている。最高出力は57馬力/8500rpmへと、パワー&発生回転数ともに引き上げられ、リッター当たりの出力は94馬力に達した。最高速度も約145km/hに上昇している。

 そしてS600を語るうえで欠かせないのが、モータースポーツシーンにおける活躍だ。軽量コンパクトな車体に強力なエンジンを搭載、さらに優れたハンドリングを誇るS600は日本国内をはじめ世界各国のサーキットで活躍。数々の名ドライバーを輩出することになる。

 これまで2シーターオープンという1種類のボディタイプを貫いていたSシリーズだが、S600の発売から約1年後となる1965年2月、固定式ルーフを備えるS600クーペが新たに設定される。単にスチール製の屋根を載せただけではなく、ラゲッジルームは室内空間と一体となった3ドアハッチバックであり、実用性の高さも兼ね備えていた。エンジンの仕様はS600とまったく同じで、車両重量はS600の720kgに対してクーペは734kgと14kg重くなっている。

 しかし、空力性能に優れたボディ形状ゆえ、最高速は145km/hで変わらず。むしろスチール製ルーフによりボディ剛性は向上しており、レーシングカーのベース車両としてモータースポーツシーンにおいて人気を博した。

 S600の発売から約2年を経て、初のマイナーチェンジを迎えたのが1966年のこと。S600は791ccまでエンジン排気量を拡大させ、1966年1月にS800/S800クーペへと進化する。ボディ外観にはほぼ変更はなく、フロントグリルや前後の灯火類、さらにボンネット上に「コブ」が設けられたことがS800/S800クーペの識別点だ。最高出力は70馬力へと向上したが、発生回転数は500rpm下げられて8000rpmとなり、リッター当たりの出力は約88.5馬力へとやや下がった。しかし4速MTはフルシンクロ化され、最高速度は約160km/hに到達した。

 外観の識別点である「コブ」だが、S800の開発過程においてインジェクション(燃料噴射装置)の装着が予定されており、その干渉を防ぐために設けられたと言われている。結果的には従来と変わらずキャブレターを装備して発売されたが、この形状はその名残だという。

 その後、S800/S800クーペはチェーンドライブからシャフトドライブへの変更を経て、最終モデルとなるS800Mが1968年5月に発表される。このマイナーチェンジは、北米市場への輸出に合わせた法規対応がメインであり、外観ではボディ四隅にサイドマーカーが与えられたほか、フロントフェンダーにターンシグナルランプなどの安全装備が追加された。

 また、動力性能ではフロントディスクブレーキやラジアルタイヤを採用したほか、オートチューニングラジオやヒーターなどの快適装備も標準装備とされた。そして、輸出先の北米市場でもS800Mは人気となったが、1970年に生産を終了する。

 S360に始まりS800で終わりを迎えた、第一次Honda SPORTS「エス」シリーズの特長は、スポーツカーの王道といっていい軽量なFRレイアウトのシャシーに、ホンダならではの高回転高出力なDOHCエンジンを搭載したことにある。そして、ストリートだけでなく、モータースポーツにおける活躍は枚挙にいとまがないほどで、のちの国内レースシーンを牽引するドライバー、メカニック、エンジニアなど「エスに育てられた」といえる人物は多い。エスがいなければ、現在の日本のモータースポーツは存在しなかったと言ってもいいだろう。

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