軍用車として大活躍しいまでも動くクルマが多く存在する
そして、前進4段に副変速機を備え、トランスファーレバーで全輪駆動も可能という走行性能にガルバーニ大佐は文句なしの正式採用を決定。このとき、AR51の悪路をものともせず、ツインカムサウンドをまき散らして走破する姿に、アルファロメオの重役だったアントニオ・アレッシオが「マッタ(英語でいうマッド=狂ってる)」と呼んだことから1900マッタの愛称がついたと伝えられています。
AR51は、イタリア国防省に2000台(1500台という説もあり)を納めたとのことですが、軍需用以外にも民生車両として、警察や消防署、そしてごく少数なクロカンマニア? にも納車されました。こちらはAR52というコードネームが与えられましたが、各部の補強やマウント、ヒッチあたりが省略されたほかはほぼ同一といっていいでしょう。
1951年から1954年までの生産期間と、軍需製品としては比較的短期間なのですが、これにはライバルだったフィアットが軍需車両「カンパニョーラ」を提案したことが理由かもしれません。なにしろ、フィアット帝国は戦時中から戦車や軍事車両を作っていましたから、偵察車両くらいでもアルファロメオにもっていかれるのは面白くなかったに違いありません。
それでも、1900マッタは1952年のミッレミリアにエントリーし、クラス優勝をかっさらうという快挙も成し遂げています。イタリア北部の街、ブレシアをスタート&ゴール地点とするおよそ1000kmにわたる公道レースはご承知のとおりですが、じつは軍用車両クラスというのが存在していたのです。
AR51のライバルは、もちろんフィアット・カンパニョーラでしたが、アントニオ・コスタ/フランチェスコ・ベルガ(両名ともにイタリア軍所属の士官!)組のワークスチームは、フィアットに40分の差をつけてゴール。ミラノの名目を保つ瞬間となったのです。
1900マッタは、アルファロメオ史のなかでも特異な存在かもしれませんが、官民から愛用されたという意味では唯一無二のクルマ。現在でもイタリア国内はもちろん、ヨーロッパ各国に数多く動態保存されているのも大いに納得です。そういったファンの前では、「ジープっぽい」とか、「ランドローバーっぽい」というのは確実にNGワードなんでしょうね(笑)。