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7リッター超えのエンジンでFF駆動ってやっぱアメ車は何かが違う! 「黄金郷」を名乗るキャデラックが凄すぎて笑う (2/2ページ)

7リッター超えのエンジンでFF駆動ってやっぱアメ車は何かが違う! 「黄金郷」を名乗るキャデラックが凄すぎて笑う

この記事をまとめると

■アメリカの高級車を代表するキャデラックを象徴するモデルのひとつに「エルドラド」がある

■1952年に初めて「エルドラド」の名前が使われて以来、2002年まで12世代に渡ってラインアップされた

■1971年登場の第9世代エルドラドはキャデラックの頂点を極めた一台といえる

クルマがどんどん巨大化して豪華になっていった時代の極めつけ

 現在でもアメリカにおける高級車の象徴ともいえるキャデラックが、その第一号車を生み出したのは1902年のことだから、すでにその歴史は1世紀を大きく超えていることになる。

 ブランド名の由来となったのは、現在のミシガン州デトロイトを開拓したフランス人貴族の名で、社長に抜擢されたヘンリー・マーティン・リーランドは、部品などの精密加工技術に高い見識を持ち、またそのノウハウを実際に生産車に採用。その技術が認められ、キャデラックは1909年には最高級ブランドとしてGMに編入された。

 キャデラックの成功は、その品質の高さとともに、常に最先端の技術を導入したことにも理由があった。たとえば1910年代には高圧点火システムやセルモーター、電気式ヘッドライトなどが、やはりのちにGMグループに入るデルコのチャールズ・ケタリングによって発明され、キャデラックはいち早くそれを採用。それを追ってアメリカの自動車メーカーでは徐々にその標準採用が始まることになる。

 高級にして先進的なキャデラックは、ここからさまざまなモデルを市場に投入していくことになる。V型8気筒エンジンやV型16気筒エンジン、パワーステアリング、シンクロメッシュ機構を備えたギヤボックス、それにエアコンディショナーなど、高級車に必要な先進装備はさらにその採用例が増えていったが、同時にキャデラックらしさを強く感じたのは、そのボディデザインだった。それはアメリカ以外のどこからも生まれ得ないと言えるほどにダイナミックで、また強いアメリカを表すものだった。

 その象徴的な存在として、ここでは1952年から2002年まで、じつに12世代にわたって生産が続けられた「エルドラド」を紹介することにしよう。ちなみにエルドラドとは、スペイン語で南アフリカに伝わる黄金郷や理想郷を表す言葉。それはキャデラックのゴールデン・アニバーサリー、つまり創立50年を祝った社内コンペで選ばれ、まずは1953年モデルの限定車に使用されている。

 その限定車のネーミングが、正式にシリーズ62のプロダクションモデルに用いられるようになったのは、翌1953年のこと。ボディはハードトップとコンバーチブルが用意され、前者にはセヴィル、後者にはビアリッツのサブネームが与えられている。ちなみにこの初代エルドラドは、1961年にはハードトップを廃止。コンバーチブルのビアリッツは1964年まで生産が継続された。

 ハーレー・アールのデザインによるボディは、この初代モデルの段階ですでに5610mm。それでもキャデラックは、さらに大きく豪華なエルドラドの後継車を誕生させることに積極的だった。

 そして、キャデラックは1965年デビューの第7世代エルドラドを最後に、FRの駆動方式さえも見直す決断を下すのである。

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