日本が木炭自動車の時代にリトラだと!? しかも「ミッドシップフロント駆動」のコード810って何もの? (2/2ページ)

何もかもが斬新だった類稀なるスタイリング

 そのほか、ドアヒンジを内装化して滑らかなボディラインを強調するとか、当時のトレンドだった縦ラインのグリルでなく、水平基調のグリルラインはもっともコルビジェの影響を受けたディテールだとビューリックも認めているところ。

コード810のフロントエンド

 これほど野心的で高級感あふれるコード810でしたが、販売面ではパッとしなかった模様。というのも、セミオートマティックミッションの出来栄えがいまひとつで、生産台数もわずかに1174台と、計画の半分にも満たない数字。なにより、顧客へのデリバリーが遅れに遅れてしまい、キャンセルが相次いでしまったのです。

 そこで、翌年1936年モデルにコードはシュヴィッツァーカミンズ社のスーパーチャージャーを搭載した810Sをラインアップに加えてテコ入れ。NAモデルに対し、エンジンルームから繰り出されるクロームパイプの美しさもあって、こちらはそこそこの売れ行きを示したとのこと。

コード810Sのクロームパイプ

 なお、搭載エンジンはライカミング社という航空機エンジンメーカーによる4.7リッターのV8で、過給なしで125馬力、スーパーチャージャー付では175馬力を発揮して、当時の高級車としては優秀なパフォーマンスだったとされています。

コード810Sのエンジンルーム

 その後、マイナーチェンジ版の812をリリースするなど奮闘していたコードですが、全世界を襲った大恐慌には抗うこと叶わず、1937年には製造中止となり、会社も解散しています。結局、コード810/812は2972台がリリースされ、そのうち205台がコンバーチブルだったと記録されています。

 それでも、数々のレプリカを生み出したオーバーン・ボートテール同様、コード810/812を模したハップモービルやグレアム・ハリウッドといったモデルが生み出されるなど、根強い人気を誇っています。

 オークションに出品されることも少なくないようで、ミントコンディションで20万ドル(およそ3000万円)から、平均的な状態でも10万ドル(1500万円)程度をキープしている様子。さらに、ホットウィール・シリーズでもコード810は人気モデルで、未開封であれば800ドルの値が付くことも珍しくないようです。

コード812のフロントスタイリング

 短命ではあったものの、コード810/812はアメリカの自動車史に力強い足跡を残したモデルに違いありません。才覚溢れるデザイナーのビューリックと、経営手腕とセンスの持ち主だったコード氏の奇跡に近いコラボレーションは、色あせることなく輝き続けることでしょう。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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