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丘を越えたらそこはガケだった! 自動車ライターが経験したクルマとんでも事件簿【まるも亜希子編】 (2/2ページ)

丘を越えたらそこはガケだった! 自動車ライターが経験したクルマとんでも事件簿【まるも亜希子編】

この記事をまとめると

■モータージャーナリストのまるも亜希子さんが経験した衝撃体験を告白

■サハラ砂漠を走るガゼルラリー参戦時に悲劇が起きた

■日本では考えられない砂丘での大回転によって大事故一歩手前の経験を味わったという

サハラ砂漠でのラリーで大惨事に!

 そろそろ30年に手が届こうかというドライバー人生のなかで、幸い“普通の道”での大きな事故は経験することなく過ごしてきましたが、地球の裏側に近い“普通ではない道”で、その大事件は起こってしまったのです。

 あの日は朝から気合い十分のはずでした。忘れもしない、2004年4月23日。私はサハラ砂漠2500kmを走破する女性だけのラリー、通称ガゼルラリーに初めて参戦していました。

 本格的な四輪駆動システムを持つ車両に、ドライバーとナビゲーターのふたり1組が乗り込み、8日間分の着替えや食料、野宿用のテントや寝袋など、一切合切を積み込んで走るラリーです。1991年からの開催歴を持つガゼルラリーの存在を知ったのは、2003年のこと。その頃、自動車雑誌の編集者をしていた私のもとに、パリからリポート記事の売り込みが舞い込みました。そして1枚の写真を見た瞬間、全身に鳥肌が立つほどの衝撃がはしったのです。

 ピンク色に光る砂が一面に広がる、美しいメルズーガ砂丘。その真ん中でスタックした車両の傍らに這いつくばり、懸命に砂をかくひとりの女性。汗にまみれ砂に埋もれながらも、その女性からは見たこともないほどの強烈な生命力や精神力が放たれ、嫉妬するほどに輝いていました。

 すっかり心奪われた私は、いつか参加してみたいと夢見るようになり、幸運にもその翌年、本当にサハラ砂漠に立つことができたというわけです。マシンはディーゼルターボの日産パトロール(日本名サファリ)でした。

 とはいえ当時の私は、いわゆるオフロードと呼ばれる場所は日本でしか走ったことがなく、実際の砂漠を見るのさえはじめて。海外で運転したことがあったのは、ドイツやアメリカなど先進国の道路だけ。そんな乏しい経験ゆえに、競技の過酷さは想像を超えていました。なんたって、パリのスタートセレモニーを終えてからモロッコのサハラ砂漠まで、自走! 途中のフェリーで2泊3日かかり、合計4日もかけてたどり着いたときにはすでに相当な体力を消耗していましたね。

 そんななかで競技が始まりましたが、このラリー最大の特徴は、GPS使用不可ということ。現在地も向かう先も、紙の地図と方位磁石しか使っちゃいけないのです。

 砂漠に目印なんてほとんどなく、どうやって走ればいいのだろうと愕然としたのを覚えています。

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